「ONの尽瘁(じんすい)」(32)―(玉置 肇=日刊スポーツ)

そのシーンは、番記者のわたしが初めて見る王巨人初優勝への「手触り」のようなものだったかもしれない。
1987(昭62)年5月中旬。開幕ダッシュに成功した巨人は勢いそのままにペナントレースを突き進み、首位を快走していた。わたしはいつものように後楽園球場に向かう監督・王貞治の車に同乗させてもらうべく、最寄り駅から王の自宅に向かって歩いていた。後楽園でのナイターのとき、王は正午すぎにみずからメルセデスベンツ560SELのハンドルを握り出かける。各社の巨人担当記者はそのタイミングに合わせて王宅前に集まる。球場までの道中、車内での王との雑談のなかに「ネタ」を探そうというわけだ。
わたしが着いたとき、王宅前の道路には既に3、4人の「先客」がいた。やがて、王と見送りの家人が玄関口に姿を見せた。さあ出発となったとき、王が運転席から「ねえ、ちょっとさあ…」と家人を呼び、微笑みながら何やら耳打ち話。家人も笑みを返して二言、三言…。プライベートをあまり明かさない王の、こんな「普通の夫婦」的なほほえましいシーンは初めて見た。
そんな何気ない一コマに、巨人の動向に何らかの形でかかわるすべての人々の高揚した感情が巣くっていたといえば、大仰か?
誰より王自身が気分を高ぶらせたのは、2年目桑田真澄の成長だった。19歳の桑田はこのシーズン、江川卓、西本聖ら先発ローテの中核を凌駕(りょうが)する活躍をみせた。球宴までの前半だけで12勝1敗と大奮闘。7月8日、札幌での広島戦では北別府学からプロ1号をセンターバックスクリーンへ放つなどチームの全4得点をたたき出すばかりか、本職のピッチングは3安打、10奪三振でプロ初完封を飾り、早くも10勝目を挙げた。「10代2ケタ勝利」は67年の巨人堀内恒夫、阪神江夏豊以来20年ぶりだった。
桑田は名うての投手が樹立した記録の達成を、こう振り返った。
「20年ぶりなんですってねぇ。でもボク個人の記録よりチームが広島に勝ったことのほうがはるかにうれしいですよ。スコアボードにゼロが9個並ぶのって、気持ちいい」
いかにも桑田〝らしい〟優等生発言。それでも誰に頼るでもなく、投げて、打って自力で挙げた10勝目はやはり誇らしげだった。
王が桑田の投球に快哉を叫んだ試合は、もう1つある。7月23日、新潟での中日戦。この日の北陸の日本海沿岸は真夏のうえフェーン現象に見舞われ、マウンド付近の気温は45度にも達していた。加えて、桑田は初の中4日登板をしいられた。重なる過酷条件の下、熱投132球を要しながら3連続完投となる12勝目をマークした。
桑田は悪びれず言った。
「こういう暑いところで投げるのは慣れっこですから。かえって刺激になりました」
PL学園時代の「甲子園通算20勝」の金看板はダテじゃなかったと言いたげだ。このときの王の〝快哉〟ぶりは、こんな風だった。
「すごいやつだ!他に言葉がないね。うん、立派なもんだよ」
2年前のドラフトで単独指名の末に獲得した次期エース候補が、紛れもなく、新戦力への過渡期にあった巨投の大きな「柱石」に名乗り出た瞬間でもあった。(続)

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