「スポーツアナウンサーの喜怒哀楽」(28)-(佐塚 元章=NHK)
◎親しかったスポーツ人の旅立ち
お世話になったスポーツ界功労者の訃報が相次いでいる。このコラムも不本意ながら追悼文が多くなってしまう。2026年4月8日、甲子園のNHK高校野球解説者、野村徹さんが亡くなった。89歳だった。熱戦になると放送席で涙ぐんで解説していた人情家である。
野村さんと言えば東京六大学野球1960(昭和35年)秋、球史に語られる「早慶6連戦」の早稲田の捕手である。卒業後、私の故郷、静岡大昭和製紙に就職、おかげで小学生の私は草薙球場で野村さんの活躍を観戦できる幸運に恵まれた。その後、大昭和監督として都市対抗野球に優勝するなどアマチュア球界の王道を歩んだ。
思い出すのは甲子園からの帰り道、阪神電車の中で「佐塚ちゃん、俺、早稲田の監督やらないかと言われているんやけど、どう思う」。私は即座に答えた。「是非、やってくださいよ!早稲田のために」。野村さんは「そう言ってくれるならうれしいな」。再び着たWのユニフォームが似合っていた。太い眉毛、凛々しい姿、厳しい指導に選手は震えた。99年から2004年まで指揮をとり4連覇を含む5度の優勝、青木宣親、鳥谷敬、和田毅らを育てあげた。
もうひとりの訃報、サッカーサンフレッチェ広島を創設し、日本協会の強化本部も担った今西和夫さんが26年4月16日に亡くなった。85歳だった。今西さんを語るとき驚くのは「人材発掘力」である。東洋工業の黄金時代が去り、日本リーグ2部に低迷していたチームの再建に当時無名のハンス・オフトさんをオランダからコーチとしてスカウト。広島市内のホテルで記者会見を開いたが、会場に来たのは私と中国新聞記者の二人だけだった。当時広島のマスコミはサッカーに冷たかった。
この時以来、今西さんは懇意にしてくれた。サンフレチェのデビューはNHKでしましょうと私と口約束をしていたが、1993年Jリーグ開幕直前、鹿島アントラーズとのプレシーズンマッチの中継を実現させてくれた(プロになったんだから人間関係で興行をしてはいけないとJリーグ本部から叱られたが)。後年、ハンス・オフトさんの日本代表監督就任情報を最初に私に教えてくれたのは今西さんだった。現日本代表監督の森保一選手をスカウトしたのも今西さんである。長崎に他の本命選手の練習試合を見に行き、目に留まったのが当時長崎日大高3年生の森保選手だった。会社と交渉しマツダの子会社に就職させた。そこから森保物語は始まったのである。
今西さんは4歳の時、爆心地から2キロの自宅で被爆し左足にケロイドが残っていた。晩年今西さんは語ってくれた。「現役引退のあと、マツダの研修センターで新入社員の教育を10年間担当し、若者の思いを知ることができた。それが後のサッカー指導に役立っている」。リーダーぶらず、義理人情を大切にし、ほんとうに人に優しい人だった。野村さん、今西さんに出会えたことは大変光栄なことです。心から感謝します。ご冥福を祈ります。(了)
