「記録とメジャーを渡り歩いた記者人生」(11)-(蛭間 豊章=報知)
◎イチローの年間最多安打のメジャー記録を追って
2003年の松井秀喜のヤンキース入りに続いて、翌04年はもう一人の松井、松井稼頭央がメッツ入り。東京ドームでは同年、ヤンキース対デビルレイズの開幕シリーズで幕を開けた。ところが、2試合目となった3月31日、私の父親の容体が急変し亡くなったため急遽休ませてもらった。忌引で休んでいた時期に、松井稼がメジャー史上初の「新人、開幕戦メジャー初打席初球プレーボール本塁打」という超弩級の快挙でスタートした。ただ、松井稼は負傷もあってシーズン114試合の出場にとどまった。
そんな中、黙々と安打を重ねていったのはマリナーズのイチローだった。報知では通信員をイチロー番にしていたが、新記録が目前となったシーズン終盤は、松井稼番記者をイチロー担当として複数体制で日々の取材をこなしていった。オフには日米野球を同時に見て、中身の濃いデスク業務が続いた。個人的には家族と一緒に8月にニューヨーク旅行に行った。セントラルパーク近くのミッキー・マントルのレストランで食事。いただいたビールグラスと店のメニュー表は大切な宝ものとなった。
その年の締めくくりは05年元旦付け用のイチローのインタビューに立ち会ったことだった。同選手と懇意にしている義田貴士さんがインタビュアーだった。01年に、私が「イチローはまだメジャーではない」と、イチロー人気の中、やや批判めいたコラムを書いた(苦情のメールが50通ほど届いた)こともあって、挨拶の際にそれを言うとイチローから「あ、そうですか」と返されただけで話は続かなかった。
しかし、インタビューは義田さんのテンポの良さにイチローも饒舌となって1000行近くになった。最初から紙面3頁の予定だったが、写真部から多くの写真掲載要望があり、整理部から「全部入りません」との苦情がきた。こちらは、インタビューが面白いので全文掲載を要望すると最終的に編集局長が判断して、写真を小さくして全文掲載となった。
そのインタビューで私の記憶に残るのは「(試合に勝っても)ノーヒットだったら面白くない」と、一時はパワーを付けるために筋肉トレーニングを試みたそうだが「(筋トレは)パワーがついても、(自らの持ち味である)しなやかな身体が失われる」の2つのコメントだった。しなやかな身体をキープすることを2019年現役引退するまで15年間も貫くのだから改めて感服するしかない。
そして、もう一つ。通常インタビューなどは編集部にお任せか、マネジャーなどがチェックするのだが、すべてのモニター原稿をFAXで送ると、イチロー自らチェックした。それが返送されてきたのが大みそかの午後、自らの言葉に責任を持つ“らしさ”に驚かされたことでもあった。(敬称略)
