「100年の道のり」(100)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)

◎天才大下、不滅の1試合7安打
 オフィシャルベースボールガイド2026年度版を開いてみると、525ページにとんでもない記録が1行ある。
 「日-7-大下弘(東)1949.11.19 対陽」
 項目は安打記録の中の1試合安打である。東急フライヤーズの大下が大陽ロビンス戦(昭和24年)で7安打の日本記録を打ち立てた、と。
 球場は甲子園。風の強い中での記録だった。相手はエースの真田重雄。1回に右前に転がした安打を皮きりに3回から7回まで5イニング連続で6打数6安打を放った。そして9回。3球目を打った飛球は一塁へ。これが強風にあおられ、野手が捕球できずにファールグラウンドに落ちた。その後、三遊間へ流し打って7安打目を記録した。
 大下といえば、戦後の野球復活となった東西対抗第1戦(神宮球場)で本塁打をかっ飛ばし、一躍名を上げた。台湾から明大に進み、彗星のごとく現れた天才打者と騒がれ、異名は“青バット”。川上哲治の“赤バット”と人気を二分したことで知られる。
 エピソードの多いことでも有名で、芸者置屋にバットを置いていて素振りをした、などはその代表的な例である。
 戦後のすさんだ国に希望を与える高く遠くへ飛ばした大下の功績は大きい。もう一つのニックネーム“ポンちゃん”は、ポンポンと大きな当たりを飛ばすことから付けられたものである。「りんごの歌」の並木道子とともに時代のスターだった。
のち三原脩監督の西鉄に移った。中西太、豊田泰光、稲尾和久らを引っ張った黄金時代を作ったことは野球史のハイライトだった。
1試合6安打は2025年終了時点で7人を数える。セ・リーグ5人の中に、巨人の高田繁(74年5月)や現役の阪神の大山悠輔(2018年9月)中日の大島洋平(22年8月)ら、パ・リーグは2人でダイエー時代の城島健司(03年7月)の名がある。
大下の1試合7安打は現在の延長12回までなどの制度ではまず破られることはないだろう。天才は永遠である。(了)

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