「記録の交差点」(36)-(山田 收=報知)
◎第36回 田中将大②
21世紀に生まれたアンタッチャブルレコード、シーズン無傷の24連勝を成し遂げた田中将大。彼をナビゲーターとして、この連勝記録が浮かび上がらせた先人たちの物語をスタートさせる。今回は2013年8月9日の楽天・ソフトバンク戦に注目する。
19度目の登板(もちろん先発)は、初回いきなり1死三塁のピンチもこれをしのぐと、7回92球、被安打4、8奪三振、無失点に抑え込む。残り2イニングを4投手が引き継ぎ、完封リレーを完成させた。試合は5-0。これで開幕から無傷の16連勝だ。従来の間柴茂有(1981年・日本ハム)、斉藤和巳(2005年・ソフトバンク)の開幕15連勝を8年ぶりに更新した。
試合後のインタビューで「凄いことをした実感は?」と尋ねられたマー君は「ないですね。その記録も一番になったことは嬉しいですが、すぐに抜かれるかもしれないですしね」と答えている。「まだまだ伸ばすぞ」と言っているようにもとれる。現にそうなのだが。
前記録保持者2人のうち、間柴は直接取材したことはないが、2歳上であり、私の野球記者時代に活躍した投手だ。快記録を作った81年、巨人担当記者だった私には、日本シリーズで、西本聖、江川卓に投げ負けた左腕の印象が残っている。
さて、45年ぶりに間柴の足跡を辿(たど)ろうと思う。“連勝”より“連敗”が目立つ存在だったようだ。ドラフト2位で入団した大洋では1年目の1970年から72年まで7連敗。プロ初勝利は74年だが、75年から77年にかけて13連敗を喫している。そんなこともあってか、本名の富裕(とみひろ)から茂有(しげくに)に登録名を変更している。
8年間で189試合登板、13勝27敗に終わった大洋から78年、日本ハムに移籍して、投手人生が大きく変化したように思える。78年から11シーズンで292試合登板、66勝55敗の数字を残した。実働21年のプロ人生の中で、白眉はやはり81年。27試合登板、防御率3.46ながら15勝0敗、勝率10割。ちなみにこの時点で、勝率10割(もちろん規定投球回数以上だが)は、1937年秋の御園生崇男(タイガース)しかいなかった。
当時パ・リーグは前後期制で、間柴は前期5勝のみ。10勝をマークして後期優勝に貢献している。自身の記録とチームのVが重なるところは、田中将と共通しているようだ。
過去の報道をめくっていると、田中将の記録達成について、間柴がスポーツ報知の取材に答えている記事を見つけた。「(田中が)13連勝ぐらいの時、周りから『名前が出ている』と言われた。14連勝の時(7月26日・ロッテ戦)はサヨナラで完投。自分の時も同じようなことがあった」という。
調べてみると、81年9月7日の南海戦(後楽園)。間柴は9回3失点で、この回で降板予定だった。だがその裏、チームが逆転サヨナラ勝ちしたのだ。間柴はこの年、少なくとも4試合で敗戦投手の可能性を残して降板。2試合はチームが逆転、2試合はリリーフ投手が結局敗戦投手になっている。これは運というのか。目に見えない力が働いているのか。
「そういうことがあるから、マー君の連勝は続く」と連勝中の空気感を話してくれた。
間柴にとって15連勝は抜かれたが「シーズン勝率10割は並ばれることはあっても、抜かれることはない。だから田中君にはどんどん行ってほしい」と背中を押していた。
次回はもう1人の抜かれた男・斉藤和巳について、書いてみようと思う。=記録は2026年5月26日現在=(続)
