「100年の道のり」(101)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)

◎1リーグ時代の華、東西対抗の終わり
 戦後直後のプロ野球界はさまざまな輩がうごめくときでもあった。「一儲け」を企む成金企業、古い野球人の表と裏、軍隊帰りの失業選手、食うための敗退行為…。実はプロ野球再開のノロシだった東西対抗も興行を巡って虚々実々の駆け引きに明け暮れていた。
 この東西対抗はプロ野球がスタートして2年目の1937年(昭和12年)から始まった。大リーグのオールスター戦を真似たのである。そのきっかけのエピソードが興味深い。オペラ歌手で米国帰りの藤原義江が全国紙の記者に、スター選手の対抗戦をやったらどうか、と話をしたという。
 1リーグ時代だったのでスター選手を東西に分けて試合を行うことにした。第1回は甲子園で3試合。東軍には沢村栄治、ビクトル・スタルヒン、水原茂、苅田久徳、中島治康ら、西軍は若林忠志、景浦将、宮武三郎、山下実、堀尾文人ら。西軍の2勝1敗だった。
 以後毎年1度開催し、第2回から東軍に三原脩、西軍に藤村冨美男が登場。第3回に東軍に川上哲治、西軍に山本(鶴岡)一人の名がある。第5回に初めて後楽園を使用、甲子園との開催で3試合ずつ行っている。
 実力選手の出場で大勢のファンが集まり高収入となった。“1リーグ時代の華”と伝えられている。戦後の第10回(昭和21年)はファン投票で監督と出場選手を決めた。ガイドブックの発売は大当たり、応募は想像をはるかに超えた。野球復活をファンがいかに待ち望んでいたか、その証左となった。
 そのときのファン投票の結果を紹介しておく。
 ▽東軍 監督=横沢三郎(セネタース、明大)投手=白木義一郎(セネタース、慶大)捕手=多田文久三(巨人、高松商)内野手=千葉茂(巨人、松山商)川上哲治(巨人、熊本工)杉浦清(中日、明大)山川喜作(巨人、長崎・鎮西学院)外野手=大下弘(セネタース、明大)坪内道則(金星、立大)古川清蔵(中部日本、鹿児島商)
 ▽西軍 監督=藤本定義(パシフィック、早大)投手=別所昭(毅彦、滝川中)捕手=土井垣武(阪神、米子中)内野手=藤村冨美男(阪神、呉港中)山本一人(近畿、法大)本堂保次(阪神、大阪・日新商)安井亀和(近畿、明大)外野手=青田昇(阪急、滝川中)金田正泰(阪神、平安中)田川豊(近畿、法大)
その後、主催者問題が表面化。選手会に新聞社と連盟などですったもんだの繰り返しだった、という。原因は「収入を見込むことができた」からである。そこへプロ野球進出の企業が増加して2リーグ改革が持ち上がり、選手引き抜きなど大荒れの球界になった。そして第13回(昭和24年)限りで消えた。対戦成績は東軍35勝、西軍30勝、2分け。
2リーグになって2年目の1951年(昭和26年)に、セ・パによるオールスター戦、とタイトルを変えて復活。“真夏の祭典”として今ある。(続)

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