「大リーグ見聞録」(101)-(荻野 通久=日刊ゲンダイ)

◎チーム作りはフロントから
▽3人目の監督解任
 6月26日(現地2026年)、ニューヨーク・メッツのC・メンドーサ監督が解任された。直前は7連敗で34勝48敗。ナ・リーグ東地区最下位だった。後任は育成副本部長のA・グリーン。パドレスで3年間の監督キャリアがあるが、すでに来季監督の名前が取り沙汰されている。じっくり時間をかけて、次期監督を決める方針のようだ。
MLBではレッドソックスのA・コーラ(4月25日)、フィリーズのR・トムソン(4月30日)に続き、監督解任は3人目だ。監督代行にはレッドソックスは傘下3A監督のC・トレーシー(45)を抜擢。父ジムはドジャースなどで11年間、監督を務めた。「父を通して監督の何たるかを学んだ」という息子。地元では「激しく、熱烈なファンとマスコミとどう付き合うか」と言われている。球団は指揮官として評価、来季以降も見据える人事だ。フィリーズはベンチコーチのD・マッティングー(65)が昇格。今季の指揮は任せて、球団は来季に向け新たな監督の選考に入る。
 プロ野球でも巨人・阿部、楽天・三木監督が辞めたが、楽天の”ポスト三木”はまさにドタバタだった。後任の塩川達也監督代行(ヘッドコーチから昇格)をわずか5試合(2勝3敗)で降ろし(6月10日)、吉井理人前ロッテ監督を迎い入れた。MLBでもプロ野球でも異例なシーズン中の外部招聘で、楽天では22年で延べ16人目の監督(代行を含む)だ。
▽楽天のドタバタ
 楽天の迷走を見るにつけ、思い出すのは球団スタート時の人事だ。2005年(平成17年)、新球団楽天は田尾安志を監督に招聘した。監督はもちろんコーチも初めてだ。経験不足を補うためか、GMに白羽の矢を立てたのが、当時ロッテの二軍監督だった古賀英彦だった。
 古賀は1962年に近大から巨人入り。その後、渡米してマイナーリーグでプレー。72年に帰国して横浜(現DeNA)フロント、96年にダイエー(現ソフトバンク)入りして渉外担当、二軍監督、一軍ヘッドコーチを歴任。再渡米して、米独立リーグの監督を経て、04年からバレンタインが指揮するロッテの二軍監督を務めていた。日米の野球に通じ、しかも現場もフロントもよく知る人材の獲得に動いたのだ。
 だが、この招聘は実現しなかった。後に古賀に聞いたから、こう答えた。
「GMの仕事に大いに関心があった。ただ当時は二軍監督として、ボビー(バレンタイン監督)を支える立場だった。ロッテ入団は自らボビーに売り込んで、ボビーがOKしてくれたから。だから受けられなかった」
 古賀の代わりにGMに就任したのはマーティ・キーナート。スポーツライターとして活躍していたが、プロ野球の経験はなく、チーム作りは素人だった。
MLBでは「強いチームはフロントが作る」と言われる。05年までの21年間で優勝、日本一1度だけ。6度の最下位を含むBクラス16度。古賀GMが実現していたら、どうなっていたかは分からない。ただ、その後の経緯、成績を見ると、フロント軽視の体質が低迷の要因ではないか。(了)

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