「100年の道のり」(102)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)
◎国有鉄道のプロ野球入り
プロ野球は1950年(昭和25年)に衣替えした。2リーグ制となった。セントラル・リーグとパシフィック・リーグである。大リーグのナショナル、アメリカンの2大リーグと同じ形となった。正力松太郎の描いた図が実現したのだった。
1リーグ最後の前年は8チームだったのがセ8、パ7と倍増した。新興球団がどっと増えたのである。セの松竹ロビンス、大洋ホエールズ、西日本パイレーツ、国鉄スワローズ、広島カープ、パの毎日オリオンズ、大映スターズ、西鉄ライオンズ、近鉄パールズと。
このなかで多くのファンが「あれっ?」「ホントかよ!」と驚いたのは国鉄だった。国有鉄道だからである。
その理由はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指令によるものだった。前年の6月に日本国政府が経営する官業国鉄から公共企業体の日本国有鉄道に変わり、公社化して経営の合理化を図った。簡単にいえば独立採算にしたのである。
日本の野球界の歴史を見ると、国鉄は早くからチームを持っており、全国大会を開催していた。プロ野球のない時代のトップレベルの実力を誇っていた。各地の鉄道管理局から優秀な選手がプロ入りしていた。
国鉄のプロ野球進出にこんなエピソードがある。東京鉄道管理局(東鉄)に西垣徳雄という人物がいた。甲子園で選抜大会の優勝投手で法大に進んだ実力者である。遠征の車中で国鉄総裁の加賀山之雄と会ったとき、プロ野球チームの話を持ち掛けた、加賀山は野球好きだったこともあって実現に一気に進んだ。
初代監督に就いたのは西垣である。この年の8月に名古屋・享栄商を中退した金田正一が入団した。翌年からエースにのし上がった金田がそのころのチームについて「サラリーマンの集まり。勝負の執念が全くない。レクレーションみたいな試合ばかり。のんきなもんやった」と。ノンプロそのままだったようである。
チームの愛称を付けるのものどかなものだった。初めに「コンドル」が候補に挙がった。すると「混んどる、につながって国鉄としてはよろしくない」と横やりが入って脱落。そこで登場したのが特急つばめ。英語でスワローズ。「座ろう、につながる。いいじゃやないか」と決まったという。
当時はGHQの統治下にあった日本だったが、こと野球に関してはGHQがかなり協力していた跡がうかがえる。野球王国の米国は日本統治の手段としてベースボールを利用する政策をとっていたからである。(続)
