「勝手にスポーツコラム」(7)-(船原 勝英=共同通信)
◎ガッツ石松さんのこと
プロボクシングの元WBC世界ライト級王者のガッツ石松さんが6月に76歳で亡くなった。驚いたのは朝日新聞「天声人語」が、その人生を取り上げていたことだ。
「ガッツ石松さんは子どものころ、雨の日が好きだった。雨が降ると、母親が家にいてくれるからだ。道路工事の日雇い作業員だった母親は毎朝、早くから現場に出かけた。雨ならば仕事はない。それがうれしかった」
貧しかった子ども時代のエピソードだ。中学を出てボクサーになろうと上京する際に工事現場で働く母親のところに寄って伝えたところ、ツルハシの手をとめ、母親は腹巻きから1枚の千円札を出し、これ持ってけ、と渡してくれた。くしゃくしゃになった、泥のついた、日給240円の人の千円札だった。泣きながら彼女は言った。「偉い人間なんかならなくていいから、立派な人間になれ」―ガッツさんはそのお札の泥をとり、しわを伸ばし、宝物にしたという。
僕はガッツさんと少しご縁があった。一昨年5月の井上尚弥vsルイス・ネリ戦の試合直前に突然、電話が入った。テレビの地上波では放映しない試合をどうやったら見られるか?という問い合わせだった。アマゾン・プライムで生中継されていると伝えても、ガッツさん側は即応できない状況。そこで、ラウンドごとの経過を電話で知らせることになった。「さすが、OK牧場」の人だ。
初めて彼の名前を知ったのは、大学時代に目にした「酔っぱらい8人をボクサーがKO」という新聞記事。1972年に池袋で弟が酔客とケンカになり、駆け付けるとあっという間にのしてしまった。当時は東洋ライト級王者で石田国松のリングネーム。プロボクサーの拳は凶器とみなされるが、この時は正当防衛が認められてライセンスはく奪にはならなかった。
お知り合いになったのは、もう10数年前の「プロスポーツ協会」主催のゴルフコンペでご一緒したのがきっかけ。同協会は、毎年の「日本プロスポーツ大賞」を選出している公益財団法人。ボクシング、大相撲、野球、サッカー、競馬、競輪などのレジェンドプロが集まって親睦ゴルフコンペを毎年開催している。僕も何度か参加させてもらい、騎手の岡部幸雄さんや野球の村上雅則さん、ボクシングジム会長の三迫仁志さんらとラウンドしたことがある。
ホールアウト後のパーティーが、たまたま誕生日(6月5日)だったガッツさんの「お誕生日会」になった。何度も祝杯を挙げてすっかり上機嫌になったガッツさんは、自身がレコーディングした「ガッツ音頭」を唄って大盛り上がり。和気あいあいの雰囲気になり、そこでお知り合いになったというわけだ。
ボケと天然がウリのガッツさんだが、まじめすぎるほどまじめな一面がある。NHKの朝ドラ「おしん」で演じたのは、義に篤いテキ屋の役だったが、彼の一側面のような気がする。その後は、高倉健、松田優作らが主演したハリウッド映画「ブラック・レイン」のヤクザ役などでも存在感を発揮している。
映画やバラエティへの出演以外に、自身が主演、脚本、監督で映画作りしていたことはあまり知られていない。第1作は1987年の「カンバック」。僕は見ていないが、作家・安部譲二の原作を倉本聰がシナリオ原案を担当したヒューマンドラマ。ところが、名高い脚本家の台本をガッツ流にあちこちへ手を入れてしまったので、倉本さんは二度と書かないとご立腹だったという。
ゴルフコンペから数年たった頃、映画のPRに協力してくれと相談を受けた。2012年に制作した作品「罪と罰」。正義感の強い刑事が、実の息子に妻が殺められるという辛い立場に追い込まれて辞職する。出所後の息子は脳の病気と母を殺したトラウマから、罪なき女性を次々に殺害するという悲惨なストーリー。苦悩する刑事の姿を通して罪と罰とは何なのかを問う社会派ドラマだったが、興行的にはまったく売れなかったようだ。共同通信文化部の映画担当を紹介し、話を聞いてもらったが、その甲斐なく、記事にはならなかった。
ボクシングのことを話した記憶はあまりないが、パナマで対戦した当時のスーパー王者、ロベルト・デュランの印象を聞いたことがある。「石の拳」と言われた世界屈指のハードパンチャー。対戦相手の大半が早いラウンドでKOされていた。顔をしかめながら「当たると痛いんだよ」と話したので、よほど強烈なパンチだったことが伝わった。無敵のそのデュランに怯むことなく立ち向かい、10ラウンドまで耐え抜いた。KOはされたものの、「幻の右」と称された強打が知れ渡るより前、打たれ強さとアグレッシブさで名を上げた一戦だった。
亡くなったのは77歳の誕生日を3日前にした6月2日。前日まで元気だったそうで、家族だけでなく周囲も驚いたようだ。思いっきりボケをかます「OK牧場」の心優しいガッツさん、ご冥福をお祈りします。(了)
