「100年の道のり」(103)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)
◎セ・パ初優勝は予想外のチーム
大リーグに倣った2リーグが始まったのは1950年(昭和25年)のことだった。前年1リーグ時代の8球団が膨れ上がり、セ8球団、パ7球団の計15球団と倍増。毎日新聞が参入することをきっかけに球界は荒れたが、大人の知恵を駆使して何とかペナントレースをスタートさせた。
セ=巨人、中日ドラゴンズ、阪神タイガース、松竹ロビンスに新加入の国鉄スワローズ、広島カープ、大洋ホエールズ、西日本パイレーツ
パ=阪急ブレーブス、南海ホークス、大映スターズ、東急フライヤーズに新加入の毎日オリオンズ、近鉄パールス、西鉄クリッパーズ
開幕戦はセが3月10日。福岡・平和台球場で松竹0-4巨人、西日本6-5広島。翌11日に山口・下関球場で中日5-0阪神、大洋2-0国鉄。8チームが終えた。奇数のパは変則だった。11日に西宮球場で毎日9-1西鉄と南海10-4阪急。12日に大阪・藤井寺球場で東急6-4大映、13日に藤井寺球場で阪急2-1西鉄。3日間で7球団が登場した。セ・パとも東京では開幕戦がなかった。
優勝したのはセが小西得郎監督の松竹。98勝35敗4分け、7割3分7厘で2位中日に9ゲーム差。3位巨人にはなんと17.5ゲーム差だった。51本塁打の小鶴誠が合わせて二冠。エース真田重男は最多勝の39勝。パは毎日。81勝34敗5分け、7割4厘で2位南海に15ゲーム差という独走だった。別当薫が本塁打と打点の両タイトル、ルーキー荒巻淳が26勝の最多勝を手にした。
毎日は新興チームである。阪神の主力選手をごそっと引き抜いたとはいえ、いきなりのぶっちぎりは球界を驚かせた。一方の松竹は前年大陽(太陽から改名)を持つ田村駒治郎が資金繰りに困り、芸能の松竹と提携していた。松竹の球界入りを仲介したのが監督の小西で、しかも歌舞伎界の看板スター六代目(尾上菊五郎)の口利きだった。ここも主力が他球団から入団しており、選手寄せ集めチームが2リーグ第1年度を制するという球史に残る予想外の結末となった。
両リーグの順位はセが4位阪神、5位大洋、6位西日本、7位国鉄、8位広島。新入り4球団のうち勝率5割をキープしたのは大洋だけ。最下位広島は3割を切った。対するパは3位大映、4位阪急、5位西鉄、6位東急、7位近鉄。下位4球団は5割に届かなかった。
注目は鉄道会社が7球団と半数近くを占めたことだった。(続)
