◎野球クジ(菅谷 齊=共同通信)

阪神タイガースの球団史「昭和のあゆみ」(1991年)にこんな一文がある。
 「日本勧業銀行が一枚十円の野球クジを後楽園球場で発売したのが六月二十九日で、一等賞千円というので人気を集め、のち西宮でも発売された」
 この年は1946年(昭和21年)で、プロ野球のペナントレースが再開されたばかりのことだった。
 その目的は、引揚者の援護資金に充てるためだった。終戦が前年の8月15日。それから兵役から帰還した者、外地から戻って来た者などの生活は困苦でしかなかった。GHQの日本統治政策の重要政策だったプロ野球の利用もあって、貧しいながらもファンは球場に足を運んだ。政府はここに目を付けたのである。
 クジは単純なものだった。Aチームが5-2でBチームに勝った場合は、勝利Aと両軍スコアの計7を組み合わせて「A7」が当たりとなる。Bチームが9-3で勝った場合は、両軍得点の計12の1位の数字2と勝利Bを合わせた「B2」が当選となる。
 当選金の総額は総売り上げの50%が当てられたという。戦後のすさんだ世情の中での娯楽は射幸心を煽るように姿を変えた一面もあった。
 選手の「敗退行為」である。つまり“八百長試合”。その筋の者がグラウンドどころか選手ロッカーまで入り込んできていた。選手が殴られたところを目撃した主力選手の証言もあった。
このままではプロ野球が滅びると声を上げたのが各チームの主力選手たちで、選手会を立ち上げて防御することになった。球団にはそんな余力がないことから選手たちが行動を起こしたのである。名目は「選手の待遇改善」。選手会長に監督が就いたことは待遇どころか悪に手を切ることだった。
野球クジは50年で終わった。数年間、正味4年で姿を消したのだった。セ・パ2リーグ制で新たな形となったプロ野球から黒色は失せたという判断もあった。
けれどもそれから20年ほどのちに“黒い霧事件”が勃発し、永久追放の選手がD出るわ、公営競技に飛び火するわ、と大きな社会問題となった。その後も同じような出来事が起きている。入団して来る選手に“黒い歴史”を学ばせていないからである。新人教育制度を設けても瞬く間につぶしてしまった愚行もあった。
勝敗を楽しむクジもあれば、大儲けを企むクジもある。野球クジは“諸刃の剣”といっていい。近ごろ、そんな話題が球界に流れている。(了)