「記録の交差点」(39)-(山田 收=報知)

第39回 田中将大⑤
 田中将大が前人未到の開幕20連勝をマークしたのは、2013年9月6日、日本ハム戦(Kスタ宮城)である。シーズン7度目の完投で、試合は3-2。被安打7、奪三振11、失点2の内容。ちなみに相手先発投手はルーキーの大谷翔平だった。
 1957年に20連勝した稲尾和久(西鉄)に並ぶシーズン最多連勝のNPB記録となった。さらに、前年からの通算は24連勝。これで、開幕からの連勝、シーズン連勝、シーズンを跨いだ連勝と、3つの連勝記録を打ち立てた。
 56年ぶりに並ばれた(こののち抜かれるのだが)稲尾については、これまで幾度となく取り上げてきた偉大なる投手だが、今回は連勝記録について調べてみた。連勝のスタートは1957年の球宴明け、7月18日の大映戦。これを完封勝ちすると、中1日の20日。東映とのダブルヘッダーでともに8回からリリーフ、第2試合に勝利投手となっている。
 当時2年目の稲尾は、先発、リリーフにフル回転した。連勝期間中31試合に登板、先発勝利は12(うち完投は10)、リリーフ勝利は8となっている。ここで、前回に引き続き、当クラブ会員の蛭間豊章氏に頼る。当時、救援投手の成績指標となるセーブ、ホールドはなかったが、この年の救援試合を現在のルールに当てはめると、4セーブ、2ホールドに該当するという。当時の“魔術師”三原脩監督は、若き鉄腕をまさに馬車馬のように使い続けた。
 稲尾が投げた31試合で、チームはなんと27勝4分けと“不敗神話”といっていい。田中が23試合すべてで先発したのとは対照的。というより、時代・戦力の差、野球の考え方の差といっていい。
 14連勝目となった9月3日の毎日戦は、三原流選手起用が光った試合だった。先発して5回2死三塁の場面。試合は西鉄が4―3とリードしている。打席にはこの日2安打2打点と当たっている葛城隆雄。ここで三原監督は、若生忠男をワンポイントリリーフに送り、稲尾は一塁へ。『戦前、選手の少ない時代によく使われた手だったが、2リーグ制以後のプロ野球では初めての奇策』(宇佐見徹也「プロ野球記録大鑑」)だったという。
 ここで若生は葛城を二飛に打ち取った。6回から稲尾がマウンドへ戻り、このスコアのまま逃げ切った。稲尾には先発ではなく、リリーフ勝利が付いた。この14連勝が当時、毎日のエース左腕・小野正一が1か月前の8月4日に達成した13連勝を更新、新たなパ・リーグ記録となった。
 稲尾が20連勝に到達したのが10月1日の毎日戦。この大記録を76日間で達成したことには驚くばかりだ。178回1/3投球回で、期間中の防御率は0.91。使う方も凄いが、投げる方も凄い。そりゃ「神様・仏様」になるわけだ。
 登板間隔を見てみる。連投、中1日、中2日にダブルヘッダー連続登板(3度)を加えると、24度と全体の8割を占める。ちなみに、すべて先発だった田中の登板間隔は、20勝到達まで、中5日=4、中6日=14、中7日=2、中8日=1、中9日=1(球宴を挟んだ為)。
 付け加えると、田中は23試合登板で20勝に到達した。これは1リーグ時代の1937年春、沢村栄治(巨人)が24試合で達成したスピード記録を上回っている。=記録は2026年8月26日現在=(続)

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