「いつか来た記者道」(99)-(露久保 孝一=産経)
◎神宮球場100年① 第1号本塁打はルーキー
神宮球場100年の思いを乗せて、東京六大学選抜対ヤクルトスワローズの試合がおこなわれる。野球ファンにとっては、わくわくするような懐古調の試合が観戦できる。これは2026年11月14日、明治神宮外苑が創建100年記念奉納試合として実施するイベントである。
神宮球場は、100年前に東京六大学リーグ戦から試合を始め、やがてスワローズが本拠地にしてプロ野球の試合が展開され、長年にわたり学生とプロの「野球の聖地」として親しまれてきた。1924(大正13)年10月25日、明治神宮外苑に初めて競技場(現国立競技場)が誕生した。スポーツ熱が高まり野球への関心も強まって、野球場建設が要望され、外苑の美観を損なわない条件で26年に神宮球場が建設された。
同年10月24日、東京六大学野球リーグ戦の明大―法大戦が神宮球場で初めておこなわれた。ここから六大学の神宮を使ってのリーグ戦が固定化する。神宮の六大学リーグ戦はたちまち人気が沸騰し、スター選手が続々登場し、数々のドラマ、記録が生まれた。
▽宮武三郎、東武雄、浜崎真二は二刀流名手
神宮球場の第1号本塁打は、27(昭和2)年4月20日、日米親善試合でローヤルジャイアンツのマッキーに奪われたが、9日後(4月29日)に慶大―東京帝大(現東大)戦で、慶大の宮武三郎が帝大の東武雄から日本人初ホーマーを放った。左中間芝生席に豪快なアーチを描いた。宮武は高松商高から慶大に入学したばかりで、六大学春のリーグ開幕戦である帝大戦に先発デビューした。外角の速球を武器に6安打完封し、打っては名投手の東から本塁打を含む3安打した。宮武は卒業するまで投手・打者の二刀流として活躍する。
宮武は、30年10月4日の法大戦で若林忠志から神宮初の場外本塁打も記録している。打球は、場外の相撲場(のちに神宮第二球場に)まで届く飛距離150メートル砲で「相撲場ホームラン」との別称がある。慶大には同期入学の山下実がいて、春季に4番に抜擢され、その後、宮武と並ぶ二枚看板となる。1年後輩に名三塁手の水原茂、4年前には「小さな大投手」として活躍した浜崎真二がいた。
東京六大学は、野球旋風を巻き起こし日本の野球の原点ともいうべき人気スポーツの礎を築いた。現在、大リーグの大谷翔平のような投打二刀流は「希少価値」とみられがちだが、実は100年前の野球草創期から選手の二刀流は「当たり前」だった。宮武が神宮第1号を放ったエース・東は、打者としても活躍し、法大戦で六大学第1号となる柵越え本塁打を放っている。浜崎は投手でありながら、慶大の投打の主力選手として名をはせた。
そんな好投手、豪打者ぞろいだった野球ゆかりの地で、1世紀経った2026年11月に催される六大学対スワローズの記念試合は、多くの六大学OB、スワローズファンから注目されている。六大学各チームの変わらないユニホームを見て、野球の「故郷」に帰ったような気分を抱き、野球の魅力を再確認するよい機会になるに違いない。(続)
