第2回 「チームプレー」

▽こうして業師の川上一家はつくられた。

 それまでにも野球をはじめスポーツ界に「チームワーク」という言葉と概念はあったが、「チームプレー」という言葉はなかった。この言葉をつくったのは川上監督である。これが「ドジャースの野球」から受けた第二の「注目点」だった。
 「チームとは、オーナー―監督―コーチ―選手の一本の線が明確になること」と、チームにおける指揮命令系統の徹底が第一であると書いてある。この徹底のために川上監督は「チームプレー」という言葉と概念を考え出したと私は思っている。
 「チームワーク」と「チームプレー」の違いは、前者が主として「集団が心を一つにする。和」に主眼があるのに対して、後者の「チームプレー」は、これに「技術」を加味して、「集団は技術を通じて心を一つにする」ことであった。
 その点で、「チームプレーというのは戦略・戦術というより「思想」といっていいものだったと私は思っている。この新語はマスコミが書くことによって選手に浸透し、瞬く間に球界に広がっていった。私が巨人担当になる前のヤクルト担当だったころ、すでに当時のサンケイ-ヤクルトを指揮した別所毅彦監督も口にしていた。
 造語者の川上監督は著書の「遺言」のなかでこう書いている。
 「チームプレーとは、易しく言えばこれまでの選手個々の勝手気ままな個人技を、チーム全体のプレーで結んで、団体全体に一定の公平な基準と判定を設けることだ」
 「チームを1個の家庭と考えて、私は恥ずかしくない家庭の父親、きちんとした父親」
 「監督が父親でコーチは母親だ」
 ここで注目すべきは、「父親が川上監でコーチが母親」とする家庭に「一定の基準」「公平な判定」などの「取り決め」をつくったことである。そこには、それまでの「なれ合い」や「慣習」や「伝統」や「なあなあ主義」などの「ヌルマ湯」を排除した「川上の一家」をつくろうという強い意志が感じられるからである。
 「一家」といえば、すでに「水原一家」とか、とくに有名な浪速の南海「鶴岡(一人)一家」などがあったが、それらの一家と川上監督の一家とは決定的に違っている。
 簡単にいえば、水さん鶴さんの一家は血縁、地縁、学縁、学閥などを底辺とする「情の一家」といえるものだったのに対して、川上の一家はそれらの一切に関係のない「業師の一家」「腕っこき」「一本どっこ」の「集団」だった。
 招いたコーチは、巨人に籍を置いたことがない外様の牧野コーチをはじめ、広岡が推薦した大毎出身の二流打者(荒さん失礼!)荒川博や、もっと実績のない(ごめん!)元南海の福田昌久、元国鉄の町田行彦(55年セの本塁打王)、アマチュア十種目の東京五輪選手の鈴木章介コーチらだった。
 このうち牧野はすでに見たように「ドジャースの戦法」の具現化であり、荒川は早実後輩の王貞治を主力打者にする使命を帯び、福田は「帽子の庇でフライの角度を測る」などの研究心、町田はホームランキングになった努力を買われてものもので、鈴木は、主として長嶋茂雄らの「選手を走らせる」役目と、いずれも使命を担わされた腕っこきばかりである。
 もちろん白石勝巳、藤田元司、中尾硯志、木戸美模らの巨人生え抜き組も置いていたが、これらは巨人という集団を支える「土台の人たち」で、その人たちが支える土台の上に立って、実際の家屋を建てる「業師たち」を広く一般から集めたのだった。
 川上監督はこの母親たる業師たちを、まず「チームプレー」という精神で統一した。その統一するための手段の1つが「ミーティング」だった。

▽ミーティングの真相

 ミーティングには、大きく分けて「幹部会議」と「全体ミーティング」があるが、これらの会議は「技と心の結び付き」というチームプレーを具現化すための最初の試みだった。
 といって、さして特別なことをやっていたいたわけではないが、川上監督の意を受けてミーティングを設営したり進めたりした牧野茂コーチは「巨人軍かく勝てり」(文芸春秋刊)のなかでミーティングについてこう書いている。(こういうことを言うのはタブーなのかもしれないが、この本のゴーストライターは私である)
 牧野参謀は「ミーティングこそV9巨人を築いた基本戦術の1つだったと断言できる」
 その一例としてV10を狙った74年1月11日の「幹部会議」の年頭に川上監督がコーチたちに下した指針をみてみよう。
 ・監督はことしの指針として、
 ・チーム全体を初心に帰すこと
 ・チームプレーを向上させること
 ・投手はセットポジションを小さくさせること
 ・打撃は変化球の打ち方のタイミングを工夫し会得させること
 ・ケース・バイ・ケースのバッティングを徹底させること
 と示した。
 このテーマを言い渡された各コーチは、その具体的な私案を持ち寄ってコーチ同士で擦り合わせた上で「幹部会議」で議論してキャンプスケジュールが作られ、それをキャンプで毎晩開かれる「全体ミーティング」で徹底させるという段取りである。
 キャンプ初日の「全体ミーティング」の監督訓示はおおかた次のようである。箇条書きにすると―。
 ・相互信頼の精神を忘れるな
 ・服装、言動、礼儀に気をつけよう
 ・他人の迷惑を考えよう
 ・お手伝いさんに親切にしよう
 ・門限は11時、マージャンは9時半までとする
 ・寝るときは暖房を止める
 ・身辺は清潔に、部屋をきれいに、部屋長は責任を持て
 ・外出は私服で。巨人のジャンパーで出てはいけない。外出先は明確に
 ・夫人は呼んでいい。その場合、休日前夜の外泊を認める。届け出ること
 ・休日のレンタカーは禁止
 ・新聞記者をへ部屋に入れるな
 ・インタビューは広報担当を通してすること。約束したら守れ。守れないときは断れ
 どの下りも、まるで子供をしつけるような細かな常識的なマナーや心構えである。これを毎年聞かされるベテラン選手はたまったものでなかったろうと思われるが、川上監督は「毎年新しい選手がはいってくるのだし、耳にたこができるくらい聞かされて、初めて身につくのじゃ」と、実に監督生活17年間にわたって、毎年キャンプの初日に同じ訓示を繰り返していたのだという。
 あきれるというより、愚直ともいえる粘り強さが川上監督の持ち味ともいえる。
 もう少し全体ミーティングのときの監督講話を紹介したい。たとえば私が担当記者との囲み取材で直接聞いた話は、こんなものだった。
 「私のオヤジは、熊本の球磨川で船宿や魚を取って生計を立てていた。そのオヤジが魚を捕る大きな網の目を一本一本手で探って、小さな穴があいているところを探して直しているんだ。横で見ていて、そんなにボロになったのだったら新しいのを買ったらいいじゃないか、と思ったが、口には出せなかったね。実際は買い替える金がないのじゃろうし、オヤジには、直せばまだ使える、いままでさんざん魚を捕ってくれた網じゃ、という感謝の気持ちもあったのじゃないかと思ったよ」
 こんな話を訥々と語ったようだったが、もちろんこういう自分の体験談ばかりではなかった。もう少し「全体ミーティング」での監督講話について書いておきたい。(了)