第1回 西武と西鉄ライオンズの開幕連勝(露久保孝一=産経)
6月からスタートの新コーナーです。タイトルは北原白秋の歌詞でもおなじみの言葉「いつか来た道」からとったものです。プロ野球の戦いには過去に似たようなことが起こっているケースがあります。ファンも「あれっ、この現象は昔あったよな」と思い出したり、懐かしがったりすることがあるでしょう。新聞記者の目から検証し、過去と現在の対話をしていきたいと思います。
▽初優勝もたらした野武士の11連勝
今年のプロ野球は、パ・リーグの西武ライオンズが開幕から連勝を重ね、球界を驚かせた。オールドファンは「あの西鉄ライオンズの11まで連勝を伸ばせ」と煽った。まさに「いつか来た道」への熱望だった。が、残念ながら西武の連勝は「8」で止まってしまった。
では、西鉄はいつの時代に、何連勝までいったのか。それは、戦後から9年しかたっていない1954年(昭和29)のことで、開幕から11連勝。開幕からの連勝記録は、今でもそ西鉄が持っている(その後、中日も達成)。
あの年の西鉄は三原脩監督のもと、「生きのいい野武士」たちの実力派がそろっていた。
開幕オーダーは、1番が中堅・塚本悦郎、2番に遊撃・豊田泰光、3番は三塁・中西太だ。4番に右翼・大下弘が座る。5番以下は左翼・関口清治、捕手・永利勇吉、一塁・河野昭修、先発投手の太田正男、二塁・田部輝男と続いた。
豊田は水戸商(茨城)から入団して2年目。前年に27本塁打を放って新人王を獲得している。中西は前年の本塁打王。黄金の三遊間コンビである。のちに「神様、仏様、稲尾様」とたたえられた稲尾和久はまだ別府緑が丘の野球部員だった。
▽投打のバランス整った西武はデータ通りか
西鉄は開幕ダッシュしたものの、南海ホークスの猛烈な追い上げに遭い、あわや首位逆転のピンチに追い込まれた。最終戦に勝利してやっと優勝をものにしたのだ。西鉄90勝47敗3分け、勝率6割5分7厘、南海91勝49敗、6割5分。凄まじい戦いのあとの美酒である。
西鉄がパを初制覇してから64年がたつ。西武が「いつか来た道」の再現を目指すのは当然である。西武は辻発彦監督のもと、連勝中に2勝ずつ挙げた菊池雄星、多和田真三郎らの投手陣と秋山翔吾、山川穂高、森友哉、浅村栄斗らの打撃陣。投打のバランスがとれた戦力を持つ。
頭領の辻は佐賀の生まれ。福岡の平和台球場が本拠地だった西鉄と同じ九州。ライオンズの「血」が流れているのだ。ライオンズが8連勝以上したシーズンは過去2度あるが、いずれもリーグ優勝に結びついている。優勝確率100%。
とはいえ、パにはライオンズと縁の深い福岡を本拠とする強敵のソフトバンク・ホークスがいる。西鉄はその前身のホークスに追撃されたが、逃げ切った。いつか来た道なら今年もホークスに追い上げられて・・・という展開になるかもしれない。いつか来た道、今秋のパの結果は、さて、いかに?