「川上哲治とV9巨人」(高田 実彦=東京中日スポーツ)

日本のプロ野球は1960年代から80年代にかけて黄金時代を迎える。そのリーダーとなったのが巨人だった。球史に燦然と輝く、いわゆる“V9”である。長嶋茂雄、王貞治という不世出のスーパースターが活躍したことで知られるが、その巨大なチームを指揮した監督が川上哲治で、川上なくしてあり得なかったチームだった。川上は球界に近代野球を持ち込み、定着させた功労者でもあった。どのようにして大リーグにもない完璧な組織を作りあげたのだろうか。

 

第11回 「川上監督と長嶋茂雄」

「巨人V9と川上哲治」(11)完 ▽君子危うきに近寄らず、引っ越しを進言 当時コーチ兼4番打者だった川上は、1958年(昭和33)のシーズン途中、新人の長嶋茂雄に4番の座を譲って5番に下がった。打順を下げたのは水原監督だ […]

第10回 「選手管理」

▽罰金は勝つための法律 堀内は倍々になる「門限破り」と「遅刻」の罰金を重ねに重ねて、ついに「給料の4割を取られたことがあって、やっと彼のやんちゃが治った」と牧野さんは書いている。  罰金の最高額は「遅刻」だった。1回50 […]

第9回 「川上イズムが浸透した巨人の春季宮崎キャンプ」

▽「一番いい時間帯」にチームプレーを このキャンプ・スケジュールのなかの「練習の中身と順番」が、川上巨人の2年目から大きく変わった。新たに「チームプレー」「フォーメイション」の練習が加わって、しかもこの2種目が「打撃練習 […]

第8回 「猛練習」

▽“指名選手”として鍛え上げる コーチ1年目の1959年(昭和34)の宮崎キャンプのスケジュールは、水原監督が川上コーチの意見を採り入れて作ったものだった。そのメニューについて、関三穗氏は著書「がんばれ!!ジャイアンツ」 […]