「100年の道のり」-日本プロ野球の歴史(菅谷 齊=共同通信)
日本で観戦者から入場料をいただいて試合を行う、いわゆるプロ野球が始まったのは1920年代の初頭だった。大正時代の終盤である。その後、昭和に入ってリーグ戦が誕生して現在に至るのだが、日本のプロ野球は間もなく100年になろうとする。どのような道のりを歩んできたのだろうか。
「100年の道のり」(87)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)
◎大荒れの末のセ・パ2リーグ制度 B29戦闘機の空爆に原爆。あちこちが焼野原になった戦後の日本だった。そんな状況にあってプロ野球をこれからのビジネスとして多くの企業が球界参画に名乗りを挙げた。正力松太郎の1リーグ10球団 […]
「100年の道のり」(86)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)
◎10球団どころか倍増15球団に 正力松太郎が永田雅一に頼んだ「球団数調整」はとんでもない結果になった。1リーグ最後の1949年(昭和24年)は8球団で、この数は戦後再開した46年から続いており、安定したものだった。 そ […]
「100年の道のり」(85)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)
◎永田雅一が大映スターズを立ち上げたのは、自分が社長を務める大映映画のPRのためだった。プロ野球の本格経営に乗り出す考えはなかった。オーナーでありながら「野球は素人」と公言してすましていた。 そんな永田のところへ読売新聞 […]
「100年の道のり」(84)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)
◎映画の永田、執念の登場 「プロ野球の経営をしてみたらどうかね」 GHQのホイットニー少将からの声掛けから、大映映画のトップ永田雅一はプロ野球の世界に飛び込んだ。1947年(昭和22年)のことで、永田が追放者の面倒を見て […]