「100年の道のり」(76)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)

◎MVPはもっとも古い記者投票
 選手にとって最高の個人名誉はMVPである。その年の「最高の選手」と取材記者が評価する賞となっており、この賞は記者が選ぶもっとも古いもので、1937年(昭和12年)から採用されている。
 名誉第1号は春季の沢村栄治(巨人)。続いて秋季はバッキ―・ハリス(イーグルス)が選ばれている。沢村は優勝の貢献、ハリスは卓越した個人プレーを評価された。
 そのころは「最高殊勲選手」と呼ばれ、これは62年(昭和37年)まで使われ、翌年から「最優秀選手」となり、同時に点数制が採用された。いつも論議となったのは「優勝チームへの貢献」か「そのシーズンの最高選手」かだった。候補選手は前者だと限定されるが、後者だと範囲が広がる。
 戦後最初、46年(昭和21年)の受賞者は近畿グレートリングの内野手兼監督のプレーイングマネジャー山本一人(のち鶴岡)だった。優勝チームを引っ張ったことを評価されたものである。この年は、最高殊勲選手選考委員会が「MVP優勝チームから」との考えを示したそうである。終盤まで近畿、巨人、阪神が優勝を争っており、候補は近畿の山本、阪神の藤村冨美男、巨人の千葉茂が有力候補となっていた。優勝した近畿から選ばれたのはその結果だった。
 2リーグ最初のMVPはセ・リーグが51本塁打の小鶴誠(松竹ロビンス)、パ・リーグは43本塁打の別当薫(毎日オリオンズ)と、ともに本塁打王だった。
 MVPの後、40年(昭和15年)からベストナイン、沢村賞は47年(昭和22年)に始まった。投手のMVPといわれる沢村賞第1号は30勝を挙げた巨人のエース別所昭(のち毅彦)。新人王は2リーグになった1950年(昭和25年)からで、セ大島信雄(20勝、松竹)、パ荒巻淳(26勝、毎日)が選ばれた。(了)