「100年の道のり」(78)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)
◎「野球統制令」の廃止
プロ野球は、1936年(昭和11年)にスタートしたとき、実は文科省発布の「野球統制令」が法的要因になっていた。この統制令はその5年前に発布されたもので、人気沸騰で調子に乗って好き勝手にやっていた球界にゲンコツを喰らわせたものだった。
学生の分際で入場料を取り、観客を集めるために優秀選手を獲得するスカウト合戦…。それも小、中学生もターゲットするという異常事態に政府が乗り出した。規則が後から追いかけて作られたわけである。
中学生の全国大会は夏の選手権大会と春の選抜大会、それに明治神宮大会の3大会のみ。「留年生徒は出場停止」となった。大学には入場料については「目的外徴収の禁止」。応援は「制服制帽の着用とする」など。野球害毒論の中身も入っていた。
それが戦後になって47年(昭和22年)に廃止となった。もっとも喜んだのは大学で「自由を取り戻した」ともろ手を挙げて歓迎した。文科省としては「反省の色濃し」と判断したのだろう。と同時に法的に縛り付けていては発展に影響するとの考えがあったのだろうと推測される。その背景に「野球は戦勝国米国の国技」があったことは間違いない。
プロ野球にどれほど統制令廃止があったかどうかは定かではない。それでもアマ選手のスカウト合戦はすさまじいものがあった。「札束で勝負」の時代がやって来た。それを“自由競争時代”と呼ぶ。
当然、資金豊かな球団が有利となった。その代表が人気もある都会の巨人だったことは歴史が証明している。
自由競争時代を生き抜いた腕利きスカウト氏の言い放ったセリフが忘れられない。「戦後からしばらくは貧乏人ばかり。ちゃぶ台に100円札の束をドスンと置けば、それで勝負あり。ほとんどの親はハンコを押したもんだよ。ま、品は良くないけど、それがプロというものさ。現ナマが小切手に変わっても振込になっても中身は同じじゃないか」。その通り、納得である。
アマ球界も大学は高校生を、高校は中学生をしっかりスカウトして選手集めに余念がない。
プロ野球は、今年が巨人創立90年、来年がリーグ戦90年。アマはもっと長い。野球の歴史は“害毒”と“統制”を乗り越えて作られている。野球界はしたたかなのである。(続)