第4回 球史最大の遺恨試合(4)(菅谷 齊=共同通信)
ロッテ・オリオンズと太平洋ライオンズの遺恨は、パ・リーグの優勝争いと絡んで収拾どころか、ますますいがみ合うのだった。平和台球場の夜は、機動隊が出動し、異常な雰囲気に包まれた。
▽異様な雰囲気の優勝争い
福岡でのロッテの宿舎は丘の上にあった。選手たちは外出を控えた。繁華街に出れば、何が起こるか分からない。
「雨か…。中止だな」
1974年5月。ロッテは太平洋と3連戦を行うため福岡に乗り込み、21日の
第1戦を落とした。試合後、太平洋ファンから、いいように野次られた。翌22日は雨が降り、試合は中止となった。
「明日は勝たないと大変なことになるな」
金田正一監督は気持ちを引き締めていた。
ロッテはこの前期、上位に位置し、優勝争いに加わっていた。争っていたライバルは阪急と太平洋だった。
福岡入りしたとき、ロッテは3位に落ちていた。直前の近鉄戦で1敗1分けに終わったことで阪急が首位、太平洋が2位という状況だった。太平洋に連敗すれば、置いて行かれる不安が金田にあった。
2シーズン制は短期なので、ライバルに連敗すると、かなりのハンデを背負うことになる。短期決戦の怖さである。
23日、両軍はグラウンドに現れた。
太平洋のファンは早くからスタンドを埋めた。熱狂的なファンは開始前から威勢がよかった。
「一触即発にならなければいいが…」
ロッテのフロントは心配が先立っていた。そのくらい異様な雰囲気だった。
▽試合終了と同時に飛んできたカン、ビン、石…
先発はロッテがエース木樽正明、太平洋もエース加藤初と、大事な一戦にふさわしい対戦となった。
投手の好投で両軍4回まで無得点だった試合が動いたのは5回表。二死から有藤道世の二塁打で先制点を挙げた。続く4番のジョージ・アルトマンが右翼席に運んだ。計3点を奪った。
その裏、太平洋はすかさず反撃に出た。一死から長打と四球。代打の菊川昭二郎が左翼スタンドへたたき込んだ。3-3の同点とした。
ほとんど太平洋ファンで埋め尽くされた満員のスタンドは、もうお祭り騒ぎだった。こういうときの博多のファンはより元気がいい。この騒ぎは理由があった。
この日、ロッテに勝ち、阪急が負けると、首位に立つからだった。
6回表、ロッテは1点を取った。4-3。このリードを木樽が守った。武器のシュート遠慮容赦なく右打者の内角に投げ込んだ。この勝利は通算100勝目だった。
「ゲームセット」
主審のコールが終わるや、ロッテ側の三塁側スタンドからいろいろな物が投げ込まれた。カンにビン、それに石。守備についていた選手はベンチに戻ることができなかった。
仕方なく、投手マウンド付近に集まり、騒ぎが収まるのを待った。
この夜はそんな生やさしいものではなかった。球史に残る、とんでもない事態が待ち構えていた。(続)