2026-01-04 / 最終更新日時 : 2026-01-04 op01 04.プロ野球の歴史 「100年の道のり」(96)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信) ◎帰ることなかった沢村、景浦 あの男たちはセ、パ2リーグから発展していくプロ野球をどう見ていただろうか、天国から…。戦死した野球人をよそに多くの企業が球団経営に乗り出し、日増しに人気が高まったプロ野球だった。草創期を支 […]
2025-12-01 / 最終更新日時 : 2025-12-01 op01 04.プロ野球の歴史 「100年の道のり」(95)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信) ◎1シーズンで鎮火した水爆打線 日本ワールドシリーズと仰々しく掲げた最初の日本一決定戦は、セ・パ2リーグとなった1950年(昭和25年)のことだった。パの毎日オリオンズがセの松竹ロビンスを4勝2敗で下した。この結果は“ […]
2025-11-01 / 最終更新日時 : 2025-11-01 op01 04.プロ野球の歴史 「100年の道のり」(94)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信) ◎日本シリーズ最初の勝利投手は42歳 1950年(昭和25年)にセ・パ2リーグ制になったプロ野球は、この年からセとパの優勝チームで日本一を争う7回戦制を導入した。現在の日本シリーズである。初年度は「日本ワールドシリーズ […]
2025-10-01 / 最終更新日時 : 2025-10-01 op01 04.プロ野球の歴史 「100年の道のり」(93)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信) ◎日本ワールドシリーズ セ、パ2リーグで再スタートすることになったプロ野球は、こんな知恵を生み出した。 「日本一を争うというのはどうか?」 「そりゃいい。どういう名称にするか」 「大リーグはワールドシリーズとしてい […]
2025-09-01 / 最終更新日時 : 2025-09-01 op01 04.プロ野球の歴史 「100年の道のり」(92)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信) ◎ホームラン熱から覚めた赤バット ラビットボール時代を迎える前年の1948年(昭和23年)のシーズン、巨人の川上哲治は25本塁打を放ち同僚の青田昇とホームラン王のタイトルを分け合った。けれども3割を切った打率2割9分8 […]
2025-08-01 / 最終更新日時 : 2025-08-01 op01 04.プロ野球の歴史 「100年の道のり」(91)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信) ◎ラビットボール まるで敗戦のウサを晴らすような空中戦だった。1949年(昭和24年)からホームランが乱れ飛んだ。1リーグ最後のこの年、8球団が放った本塁打は874本(1球団平均109本)で、前年の391本(49本)か […]
2025-07-01 / 最終更新日時 : 2025-07-11 op01 04.プロ野球の歴史 「100年の道のり」(90)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信) ◎スライダーの元祖、初の完全試合を達成 1950年(昭和25年)、プロ野球はセ・パ2リーグ制となり、新たなスタートを切った。セ8球団、パ8球団という変則だったけれども、戦後の暗さを吹き飛ばすように全国のファンは大歓迎した […]
2025-06-01 / 最終更新日時 : 2025-06-01 op01 04.プロ野球の歴史 「100年の道のり」(89)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信) ◎1年でつぶされた国民リーグ 自動車や自転車など乗り物のラッパ(クラクション)で大儲けした戦後の企業の一つに宇高産業というのがあった。社長の宇高勲に付き合いのあった慶大野球部OBから「野球をやりませんか。選手が復員して […]
2025-05-01 / 最終更新日時 : 2025-05-01 op01 04.プロ野球の歴史 「100年の道のり」(88)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信) ◎空前の引き抜き合戦 8球団維持か、10球団か。1949年(昭和24年)9月末、連盟顧問会議(今のオーナー会議)が開かれた。場所は東京港区内幸町にあるビルの地下の日本野球クラブ。巨人の安田庄司、阪神の野田誠三、東映の大 […]
2025-04-01 / 最終更新日時 : 2025-04-01 op01 04.プロ野球の歴史 「100年の道のり」(87)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信) ◎大荒れの末のセ・パ2リーグ制度 B29戦闘機の空爆に原爆。あちこちが焼野原になった戦後の日本だった。そんな状況にあってプロ野球をこれからのビジネスとして多くの企業が球界参画に名乗りを挙げた。正力松太郎の1リーグ10球団 […]
2025-03-01 / 最終更新日時 : 2025-03-01 op01 04.プロ野球の歴史 「100年の道のり」(86)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信) ◎10球団どころか倍増15球団に 正力松太郎が永田雅一に頼んだ「球団数調整」はとんでもない結果になった。1リーグ最後の1949年(昭和24年)は8球団で、この数は戦後再開した46年から続いており、安定したものだった。 そ […]
2025-02-01 / 最終更新日時 : 2025-02-01 op01 04.プロ野球の歴史 「100年の道のり」(85)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信) ◎永田雅一が大映スターズを立ち上げたのは、自分が社長を務める大映映画のPRのためだった。プロ野球の本格経営に乗り出す考えはなかった。オーナーでありながら「野球は素人」と公言してすましていた。 そんな永田のところへ読売新聞 […]