「いつか来た記者道」(70)-(露久保孝一=産経)

◎シェクスピアも待つ?英野球躍進の夏の夢
 春が過ぎると、野球は世界中で戦いの「本番」に突入する。日本で、米大リーグで、アジアで、ラテンアメリカで熱い試合が繰り広げられ、ヨーロッパでも活発化している。2023年3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は高い人気を呼んだ。初出場した英国代表は、強豪国を相手に善戦し「イギリス野球はやるじゃないか」の存在をアピールした。
 英国は1次ラウンドC組で米、カナダに負けたが、コロンビアに7ー5で勝ち大会初勝利を挙げた。最終成績は1勝3敗ながら同組4位となり、予選免除により26年大会の参加権を獲得したのである。
 英国代表は22年、大リーグでのプレー経験があるバンス・ウォーリー投手やハリー・フォード捕手らを擁してヨーロッパでの予選を勝ち抜いて、23年の本大会に出場した。初戦の米国戦ではウォーリーが先発した(試合は2-6で敗退)。フォードはカナダとコロンビア戦でホームランを放ち、シアトル・マリナーズ選手としての「好打好守」の力を発揮した。
 フォードは母親が英国領だった香港出身のため代表資格を持ち、英国代表に選ばれた。ベテラン投手のウォーリーも、母親が香港生まれである。同投手は11年フィリーズに入団し翌年11勝、以後オリオールズ、マーリンズなどをへて17年末に同球団を退団する。23年のWBCではメジャー時代のような力強い投球を見せた。
▽棒を投げるゲームが野球の種
 英国チームは、圧倒的人気のサッカーやラグビーユニオンなどとは異なり、全英の唯一の代表チームである。英国代表は1938年のワールドカップ第1回大会で優勝したが、その後はヨーロッパではオランダ、イタリアなどの後塵を拝し予選を突破できないでいた。
 この英国の野球について、ベースボールの元祖の国という説がある。佐山和夫著の『野球とシェイクスピアと』によれば、次のような歴史がある。
 ―アメリカにおけるイギリスの最初の植民地プリマスで1621年、クリスマスの日に、少年たちが「棒を投げるゲーム」を楽しんでいるのをイギリス人総督が目撃した。ゲームは、ボールの代わりに短い木片を棒のバットで打つ遊びである。地面に円を描き、それを的にして投手は木片を投げる。木片が円に入ると打者はアウトになるから、打者は棒で打って防ぐ。このゲームは「ストゥールボール」と呼ばれた。この前年にイギリスから102人が乗船して「メイフラワー号」でアメリカに渡った。プリマスに住んだイギリス人によってストゥールボールがおこなわれ、野球に似たゲームの種が新大陸にまかれた。ストゥールボールが野球の唯一のルーツだったとはいわないが、やがてタウンボールとなってベースボールを生んだ―と佐山は書いている。
 アメリカで隆盛したベールボールは、日本へ1870年代に輸入された。イギリスと日本はどちらも島国であり、車の左側通行は同じである。立憲君主制で王室と皇室は仲が良い。明治時代には、1902年に日英同盟を結び、日本はイギリスからの財政援助を得て、日露戦争でロシアのバルチック艦隊を撃破した。それから121年後の2023年、日英首相による野球交流があった。G7で広島滞在中のスナク首相は、カープを模した赤い靴下をはいて広島ファンの岸田文雄首相の前に現れ、G7ホストに敬意を表したのである。
 野球の世界ランキングは24年3月現在、1位が日本で2位はメキシコ、3位米国となっている。イギリスは22年末の22位から18位に上昇した。『ハムレット』『ヴェニスの商人』など世界最大の劇作家で大詩人のシェイクスピアを生んだ国は、野球でも世界のトップクラス入りの「夏の夜の夢」を実現させてほしいと英ファンは待ち望んでいる?(続)