新人選手の獲得、活躍あれこれ(4)

◎プロ入り即主力、大学出身の新人王

司会・菅谷 2リーグになって間もなく職業として生活のメドがついたのだろうと思う。その証が大学出身者が次々とプロに入ってきた。今回は2リーグ発足から10年ほどの大学出身選手の新人王を語ってもらいたい。
 
出席者:司会・菅谷齊(共同通信)岡田忠(朝日)高田実彦(東京中日スポーツ)真々田邦博(NHK)露久保孝一(産経)荻野通久(日刊ゲンダイ)島田健(日本経済)山田収(報知)蛭間豊章(報知)

参考=大学出身の新人王
50年 セ=大島信雄(慶大-大塚産業-松竹) 
51年 パ=蔭山和夫(早大-南海)
54年 セ=広岡達朗(早大-巨人)
56年 セ=秋山 登(明大-大洋)
57年 セ=藤田元司(慶大-日本石油-巨人) パ=木村 保(早大-南海)
58年 セ=長嶋茂雄(立大-巨人) パ=杉浦 忠(立大-巨人)
59年 セ=桑田 武(中大-大洋)
60年 セ=堀本律雄(立大-日本通運-巨人)

▽遊撃手のイメージを変えた広岡

真々田 当時はまだ、たとえば東京六大学の方がプロより人気があった。それをプロに持ち込んだのは大きい。
 高 田 実力も大学の方があったもの。
 蛭 間 セ・リーグ最初の新人王の大島は慶大出身だし、翌1951年のパ・リーグの新人王は早大出身の蔭山。蔭山は前年に南海に入っているから2年目だった。
 荻 野 確か、蔭山はコーチから監督昇格が決まっていたのだが、急死してしまった。不運な野球人だった。
 菅 谷 鶴岡一人監督が東京オリオンズの監督に就任することになっていたんだが、蔭山の急死で鶴岡は一転して南海監督に戻った。東京の永田雅一オーナーは悔しがっていたという話を聞いている。監督就任の発表をする寸前の出来事だった。
 高 田 新人王を見ると、確かにすごい。広岡は遊撃手のイメージを変えた。遊撃手というと小柄な選手が多かったが、広岡は大型でスマート。新時代の選手という感じだった。
 荻 野 秋山は大洋初優勝(60年)の立役者だったが、とにかくタフだった。通算193勝。後年、名球会(投手資格200勝)の話をしたら、現役のころはそんな会はなかったからね、と言っていた。あと7勝ぐらい彼の力からすれば十分達成できた。
 高 田 57年の藤田、木村は慶大、早大のエース。それがそろって新人王。早慶戦がそのままプロ野球に持ち込まれたという格好だった。
 岡 田 木村は大阪・八尾高のとき甲子園で決勝まで行った。相手は兵庫・芦屋高の植村義信。木村が南海で活躍したのは1年目だけで、2年目は2敗のみで終わった。
 高 田 藤田ガンちゃんはよく投げたな。慶大時代は好投しても優勝に縁がなかったところから「悲劇のエース」と呼ばれたんだ。
 菅 谷 女性ファンの涙を誘ったというものね。ところで、ガンちゃんというニックネームは?
 高 田 藤田はやせていてね。そのころインドのガンジー首相に似ているというところから呼ばれた。
 田 中 藤田は58年、59年と連続MVPに選ばれている。
 島 田 長嶋を抑えての受賞だから立派。

▽秋山、藤田、木村、杉浦とズラリ20勝投手

 真々田 58年は立大の同級生が新人王。こういう例は珍しい。
 岡 田 二人とも文句なしの活躍だった。長嶋は本塁打王と打点王。杉浦は27勝。 
露久保 杉浦の印象が強い。記憶に残る名投手だったと思う。
岡 田 南海が日本シリーズで宿敵巨人を4勝ストレート勝ちしたとき、すべて勝ち投手だからね。59年だった。大阪の中心地をパレードしたんだが、当時は「涙の御堂筋パレード」といわれ、大きな話題になった。
露久保 187勝で200勝にあと13勝。
 荻 野 秋山と同じで、そのころ名球会があったら、ちょっと頑張って200勝に届いたと思うね。
 島 田 杉浦といえば長嶋だ。期待通りの活躍をしたんだが、そのころの東京六大学の実力が分かる。
 高 田 長嶋は打率2位。もう少しで新人三冠王だった。
 山 田 新人の年、オープン戦で7本塁打。長嶋は、プロってこんなもんか、と思ったといいますね。
 真々田 それが開幕戦で国鉄の金田正一に4打席4三振。金田は対戦前に、学生さんに負けてたまるか、と闘志を燃やしていたが、その通りのピッチングをした。
 田 中 59年の桑田は31本塁打を放ち、新人最多記録を作ると同時にタイトルを取った。
 真々田 桑田は中日の森徹(早大)と本塁打王を分け合った。この桑田に新人王争いで負けたのが関大から阪神に入った村山実だった。
 岡 田 村山は18勝を挙げ、防御率は1.19でタイトルを取ったんだが、最下位チームのホームラン王に負けたということだ。
 田 中 堀本はきっぷのいい投手だった。
 島 田 長嶋の先輩だな。
 荻 野 新人で29勝したんだが、一言多くてトレードに出されたというんだけれども真相は分からない。はっきり話すので面白い人だった。
 菅 谷 プロ野球史上、1956-58年の大学出身選手は、最高の人材が出た。その中心が長嶋茂雄だった。次回はその時代に焦点を当てたい。(続)

 

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