「いつか来た記者道」(12)-(露久保孝一=産経)

◎野球選手も「新聞を読んで」真のニュースを知る! 

世の流行に沿ってプロ野球選手たちはスマートフォン、アイフォンなどを愛用し、ネットで情報を得るのが一般的になった。昭和時代は、ベンチで新聞を読むこともあったのだ。その新聞は、消えてしまったのか? どっこいその存在価値は大きく、生きているのである。

▽エース東尾、「新聞見て世の中のことを知らなきゃ」

私が西武ライオンズの担当記者だった頃(当時はサンケイスポーツに在籍)、週に1、2度、東尾修投手が私のところへ来た。西武の練習が終わったあと、西武球場のバックネット付近の記者席に姿を現わし、「露さん(私のこと)、きょうの新聞見せて?」と尋ねる。私が新聞を差し出すと、「ちょっと借りるよ」と、にこりとして踵を返した。
 「野球だけでなく、世の中のことも知らなきゃね」というわけである。私は、そんな東尾をみて、プロ野球や他のスポーツの記事のほか、社会、芸能など時事問題にも興味を示すとは、感心な選手だな、と感じていた。それほど、新聞好きな東尾だった。
 ところが、実情はちっと違っていた。後輩の投手にいわせれば、「東尾さんは見るところがだいたい決まっている。レースの展開予想を読むのが楽しみなんだよ」。そのことが新聞閲覧の主な目的だったとしても、私には「世の中のことも」という言葉がうれしかった。
 東尾たちの時代は、情報源は新聞、テレビ、ラジオが主だった。球団首脳陣は、選手に向かって「社会人として新聞を読むのは常識。幅広い知識が得られるのだ」と、特に新聞の名前をあげて勧めていたものである。
 新聞は、自分の関心分野以外にも触れ、面白いニュースを偶然目にして知識を得ることがある。興味ある記事を切り抜き、あとで読み直すこともできる。文章や漢字にも慣れる、という多くのメリットがある。
 現在は、ネットによるニュース、情報入手が主流である。それでも、新聞の有効性が消えることはない。全国優勝した高校の中に、新聞に高い信頼を寄せる球児いた。

▽ネットよりも新聞で大事なニュースを知る高校球児も

2019年ドラフト1位で中日に入団した根尾昂(ねお・あきら)内野手は、大阪桐蔭高時代に教師の指導を受けて、新聞を読んで大事なニュースを把握する習慣を身に付けた。春夏合わせ3度甲子園で優勝したチームの選手たちは、学校側が用意した新聞を見て勝利の感激を味わった。選手たちには、ネットとは違う紙の活字からの価値ある感動があった。
 根尾よりちょうど半世紀前、1969年にプロ(西鉄ライオンズ)に入団した東尾は、西武にチームが変わってもエースとして活躍した。通産251勝247敗23セーブをあげ、与えた死球は歴代最多の165を数える。相手打者の弱点を突いての冒険的頭脳投法は、大石友好捕手を相手にした球界稀な「ノーサイン投法」で魅了した。
 その東尾を始め、私は新聞記者として選手と幅広い交流をもったが、どの選手も「新聞」と「記者」という信頼観で温かく私たちを見つめてくれた。かつてそうだったように、現在も、新聞、通信社を含め活字媒体としてのジャーナリストは、監督、選手たちから信頼され、愛される存在でありたいものである。
(続)