「菊とペン」-(菊池 順一=デイリースポーツ)

◎安仁屋さん、今度こそ第1号
 前回の今コラムで、現在では定説となっている沖縄出身プロ野球選手の第1号が安仁屋宗八さんではなく、金城政夫投手だったことを記した。
 その安仁屋さん、実はこれこそ第1号というのがある。それは「痛風」発症に伴う新聞記事初登場である。
 それは1969年2月1日、広島の若きエースは宮崎県の日南キャンプ初日を迎えていた。気になることがあった。広島から「彗星」で宮崎入り、バスで日南に向かったのだが、右足の親指周辺がむくんでいた。痛い。足を引きずっていた。電車に長時間乗ったせいだと思った。
 それでも寝たが、翌朝だ。同僚選手が布団の側を通った時だ。親指周辺に激痛が走り、ギャアアと悲鳴を上げたという。蹴られたと勘違いしたという。風に当たっただけでも激痛が起こる。病名の由来だ。
 筆者も30代半ばで痛風発作を起こしたが、それはもう痛い。子供が近くを飛び跳ねると、その振動で痛みが何倍にもなった。ただ薬を飲んで寝ているしかない。
 さて安仁屋さんだ。当初は原因不明とされた。球団は「右足第2指の故障」と発表したが、その後の精密検査の結果、「痛風」と診断された。発症から5日経っていた。即、帰広となった。
当時、新聞各紙は「珍しい病気」として大きく報道した。いまでこそ「痛風」は生活習慣病として通院患者は100万人近くで、予備軍は600万〜650万人と推定されている。しかし、当時は「ぜいたく病」「帝王病」が通称だった。この病気にかかるのはほんの一部だけだった。
 「痛風」が広く世に知れたのは安仁屋さんの発症が貢献していた。その後、プロ野球界から「オレも、オレも」という声が次々と出た。日本人の食生活も激変して現在では「痛風」は身近な病気となり、最近ではコロナ禍による巣ごもり生活が拍車をかけている。アルコールの多飲も一因とか。
 安仁屋さんは発症前の68年、23勝11敗の好成績を収めた。広島は根本陸夫監督の下で球団創設19年目にして初のAクラス入りを達成した。安仁屋さんの貢献度は大きかった。オフに沖縄に帰ってから遊びまくったという。
抜群の人気である。毎晩のようにお座敷がかかり、朝から肉を食べて夜は酒である。しかもビールを飲みまくったとか。ベスト体重73キロが90キロになっていたという。もともと大のビール党だった。
 それにしても、いまから約50年前までは「ぜいたく病」「帝王病」と言われた痛風がいまは日本人を悩ませる生活習慣病となり、20代でも発症するケースが出ている。巣ごもり生活が続きます。気を付けましょう、皆さん。(了)