「菊とペン」(37)-(菊地 順一=デイリースポーツ)
◎元野球賭博胴元を取材した話
球春到来である。今年は開幕前、6年ぶりにWBCが開催される。これが弾みとなってファンの関心がプロ野球に向いて大いに盛り上がるような気がする。(執筆は2月下旬)
1993年はサッカー・Jリーグが発足した年だ。あれから30年、同時に長嶋茂雄さんが巨人の監督に13年ぶりに復帰したシーズンでもあった。
あの頃、野球人気の凋落が叫ばれていたが、長嶋さんの復帰が歯止めをかけてプロ野球は盛り返したと思う。
当時、私はデスク、遊軍半分だった。出社すると編集局の電話が鳴る。「今日の先発投手は誰だ」「試合経過を教えろ」。こんな電話が頻繁にかかってきた。野球賭博の愛好者たちである。
そのうち、1人の男性と電話を通して仲良くなった。裏の世界では野球賭博が再び人気を呼んで盛況だという。
週1回の編集会議でこの話を振ったら、部長が「おもしろい。1度取材したらどうだ」ときて、野球賭博胴元への直撃取材の企画が決まった。
担当は口に出した私だ。とはいえ裏賭博とは無縁だし、関係者ともつながりはない。そこであらゆる人脈とコネを使って賭博関係者と接触を試み、なんとかその筋の方からある人を紹介された。Zさんとしておく。
取材場所は西日本の某都市。事務所兼自宅は3階建てで四方が頑丈な塀で囲われていた。Zさんはかつて野球賭博の胴元として有名な方だった。名刺を出してあいさつをすると、自身の立場を「政治家は引退しても政治活動を続けるでしょう。そんなもんですよ」。早い話、半ば現役である。
さらに野球賭博の歴史に関して“講義”が始まった。「野球賭博は40年の歴史がある。発祥の地は広島でね。やはり野球の本場から始まっている」。私、「なるほど…」
リビングには6台のテレビがあった。その日は土曜日である。2台がデーゲームを中継していた。Zさんは机の上に置いた紙片をチラチラ眺めていた。ハンデが記されていた。「アッ」Zさんが声を挙げた。
「ピッチャーが違うじゃないか。困るよ。(スポーツ)新聞はもっと気合を入れて先発を当てなきゃ…」
そして続けた。
「先発を当てるのがいいスポーツ新聞だ」
私、「はあ…」
取材は野球賭博のシステムに移った。野球賭博は単に試合の勝敗を賭ける、高校野球のトトカルチョがあるが、今も昔も圧倒的な人気があるのは「ハンデ野球」である。
戦力に乏しく最下位に沈んでいるチームと首位を走る強豪チームの対戦なら、ハンデなしの場合、最下位チームに賭ける者はいない。それでは賭けが成立しない。ハンデは絶対に必要不可欠だ。
胴元から統一されたハンデが全国に流れる。最新の各チーム状況を分析してハンデ師がつけるが、先発投手がだれかによって大きく変わる。ハンデを付けるのは客に野球の妙味を楽しんでもらい、また玉(掛け金)を一定のチームに集中させない狙いがある。
だからしてハンデ師は各チームの先発投手を当てるための努力を惜しまない。
Zさんによると全球団の関係者たちにつなぎをつけておき、先発が誰かの情報を掴むのだそうだ。引退した選手や評論家諸氏の名前が出てきて驚いた。
時には情報屋を派遣する。球場内で時々見慣れない人がウロウロしていたが、どうやら実はそれが情報屋だったらしい。
パ・リーグは94年から公式戦全試合で予告先発を導入した。この取材は前年の93年、いまから30年前だった。セ・リーグは12年からだ。
一番気になっていた質問をした。
「八百長はあるんですか?」
Zさんの答えは明快だった。
「ありえない。私らはさせませんよ」
お客さんに公平に野球を楽しんでもらうためだという。だが現実に69年から70年にかけて八百長疑惑の「黒い霧」があった。
「もう管理野球全盛ですよ。球団は選手を厳しく監視している」。さらに「年俸1億円時代の到来で選手は多少の金で危ない橋は渡らない」と話した。
昔は生活が荒れた選手が多く、繁華街で遊ぶ選手が大勢いた。ギャンブルなどで借金を抱えた選手も多かった。つけ入るスキはあった。だが、管理野球の到来で選手がサラリーマン化してその下地はないという。
八百長を仕掛ける側にしても試合を動かそうとすれば最低でも投手と野手3人を引き込む必要がある。金がかかるし、リスクも大きい。投手を抱き込んでも相手打線との兼ね合いがある。監督、コーチの目が光っている。すぐに交代だ。
取材から30年、現在、選手のサラリーマン化はさらに進み、球団も管理を強化・徹底している。新人選手には講師を招いて賭博常習者との交際に注意を促している。
年俸1億円選手はザラとなった。実力さえあればメジャー挑戦の時代だ。高額年俸を掴む機会が目の前にある。「八百長疑惑」はもはや遠い過去の遺物だろう。だが「一度ハマったら止められない」野球賭博というアングラビジネスはいまでも盛況かもしれない。基本的な仕組みは今も昔も変わらないはずだ。
春本番、ビール片手に当時の取材を振り返ってみた。Zさんには約3時間、丁寧に野球賭博の全容を教えてもらった。いま、どこでどうしているだろう。一期一会の取材だった。(了)