第5回目 甲子園で甦った「KANO」からの野球愛ドラマ(露久保孝一=産経)

▽ユニホームそっくり、金足農と嘉義農林

ああ、あのユニホームは台湾のチームとそっくりじゃないか?

2018年の高校野球全国大会で活躍した秋田の金足農業高のユニホーム「KANANO」の文字を見て、胸にジーンときた方もいたのではないか。第2次世界大戦前のことになるが、かつて「KANO」という農業高校チームが甲子園を沸かした時代があった。

その高校とは、金足農高と名前が似ている台湾の「嘉義(かぎ)農林」である。

日本統治下にあった1931(昭和6)年、嘉農(かのう)は台湾代表として第17回大会に出場し、準優勝に輝いた。

日本人、台湾人、台湾原住民の混合チームが、キャッチボールもまともに出来ない「草野球」から猛練習を重ねて強くなり、甲子園出場をめざした。選手たちは、日本人と台湾人が協力して農業発展や用水路整備などに力を尽くし、友情と根性で野球と町づくりに務めた素直な青年たちだった。

その歴史が映画化され、2015年に『KANO1931海の向こうの甲子園』として劇場公開された。 

この「東京プロ野球記者OBクラブ」のホームページでは、最初に王貞治さん(福岡ソフトバンクホークス球団会長)があいさつのメッセージを送っている。その王さんは、日台映画「KANO」の栄誉顧問を務め、ヒット作品に貢献した。王さんの「人間愛」と「野球愛」がにじみ出ているような感動のノンフィクションドラマになっている。

▽ともに準優勝、全試合を9人で戦い抜く

映画では、1929年、嘉農の野球部監督に日本人の近藤兵太郎(永瀬正敏)が就き、野球のイロハから教え、選手たちは徐々に上手になり、夢に見た日本本土での全国大会出場まで登りつめるストーリーが展開される。嘉農と金足農はともに農業高校、甲子園では準優勝、全試合を9人で戦い抜いた野球は同じである。

私も映画を見たが、日本統治という事実がうそのような明るくて正直で仕事熱心な台湾人がいて、日本人と手を取り合って野球だけでなく、農業の開発にも取り組む姿に胸打たれた。「みんなが同じ人間として仲良く頑張る姿は美しい」とこの映画を見た多くの観客が涙した。日本は隣国とぎくしゃくした関係が続いているが、台湾とは友好を維持している。

2018年の夏の100回記念大会は、金足が農業高校として87年ぶりの決勝進出を果し旋風を「復活」させた。台湾でも、かつての嘉農ファンは、嘉農に似ている金足農を応援しようと声をかけあったという。

この再現ドラマを思わす「いつか来た道」は、野球界では稀有な出来事である。しかし、日本と台湾の野球の友情の道は続いていくはずだと思う。