日本一の監督は誰か?

第1回 名監督の条件とは何か?

[出席者]司会・荻野通久(日刊ゲンダイ) 菅谷齊〈共同通信〉、高田実彦(東京中日スポーツ)、真々田邦博(NHK)、小林達彦(ニッポン放送)、露久保孝一(産経新聞)、山田収(スポーツ報知)

今年も5球団で新しい監督が指揮を執ります。中日の与田剛、阪神の矢野燿大の両監督は初の采配。巨人の原辰徳監督は3度目、オリックスの西村徳文監督はロッテに次いで2球団目、楽天の洋介平石監督は代行からの昇格です。監督の役割はどんなスポーツでも大きいですが、とりわけ野球はその比重が高いといわれます。采配、戦術だけでなく、精神面を含めて選手を管理、コントロールしなければならないからと言われます。80年を超える長いプロ野球の歴史で日本一の監督はだれなのか。さまざまな角度から話を進めていきたいと思います。( )は監督を務めた球団。

▽勝つことが最大の役目

司会 「まず、名監督の条件とはなにか。そこからスタートしていきたいと思います。菅谷さん、いかがですか?
菅谷 「まず、“悪人”であることが絶対条件ですね(笑い)。非情でなければいけないし、人を信じてもいけない」
高田 「すべてにおいてメリハリが効いていないといけない。それとマスコミを大事にする人。監督はチームの顔であり、マスコミの後ろには多くのファンがいる。とくにローカルな球団は地元のファンにとっては『オラがチーム』。そうしたファンを頭に入れた言動が求められる」
司会 「たしかに名将と言われる人の中には、人間的にあまりお友達にはなりたくないな、と思わせる人もいますね(笑い)」
真々田「やはり勝たないと名将とはいえないでしょう。それと人の心を読む、人心掌握術にたけた人ですね」
山田 「勝つことが大事です。ベンチ入りしている選手を使って勝つ。それが監督の一番の役目です。それと見ている人の共感を呼べるかどうか。ファンに訴える野球、アピールする野球をする監督ですね。野球に深い理解があり、新しいことも取り入れる能力も必要」
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▽勝ことは大事だが、それだけでは・・

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司会 「新しい野球といえば、メジャーでは三塁手が二遊間を守るような極端な内野守備とか、フライボール革命でアッパースイングを積極的に取り入れる監督が出てきましたね」
山田 「その意味では先発、中継ぎ、抑えといった投手の分業制を確立した近藤貞雄監督(中日、ロッテ、大洋、日ハム)や王シフト(注1)を採用した広島の白石勝巳監督も名将といってもいいのではないですか」
小林 「もうずいぶん昔、私はアナウンサーの新人のころですが、当時の南海の鶴岡一人監督が印象に残る。最初に取材に行ったときはジロッとにらまれ、『もっと勉強して来い』と言われた。翌日、また行くと『お前か』と言われたが、前日の試合をよくみて勉強して行ったので『少しは勉強してきたな』と話をしてくれるようになった。鶴岡監督は人をよく観察していた」
司会 「選手を使い、動かすためには選手のことを分かっていないといけないと」
小林 「鶴岡監督は当時、捕手だった野村(克也)についても、『よくチームのこと、相手のことよく見ている。配球を見るとよく考えて投手をリードしているのが分かる』と言っていた。後の野村監督(南海、ヤクルト、阪神、楽天)を見抜いていたわけです。大沢啓二監督(ロッテ、日ハム)については、『気が小さい。見かけはともかく中身がない』と言っていた。その後、大沢監督に関して、その言葉通りの場面を目撃したことがある。采配は人を動かすのですから、人を見る、観察力も名将には必要でしょう」
露久保 「選手、チームを含めた育成力、チームを作っていく能力も欠かせない。チームを戦う球団にしていくのは監督の仕事。指導力、育成力も大事です」
菅谷 「新しいことといえば、巨人の川上哲治監督がさまざまなことで先例を作っている。まず、コーチを外部から積極的に採用し、指導をコーチに任せた。二軍の練習も自分の目でみた。二軍の寮長だった武宮(敏明)さんに栄養士の資格を取らせて、選手の食事、栄養を管理した。海外キャンプを実施して常に新しい野球を導入した。王(貞治)、長嶋〈茂雄〉がいても、積極的に補強した。新聞係(広報担当)を設けるなど、すべて川上監督が先鞭をつけている」
高田 「中日OBの牧野(茂)さんの招聘は川上監督がスポーツ新聞の牧野さんのコラムを読んだのがきっかけだし、福田(昌久)さんは南海の二軍コーチだったのをコーチにした。OBや人間関係でコーチを選ぶのが当たり前の時代に、球界の前例とか常識にとらわれなかった。ある年のキャンプのミーティングに旅館の女将さんが本を川上監督に届けた。女将さんにこっそり聞いたら、カーネギーの著書『人を動かす』(注2)だった。すぐに本屋に買いに行ったが、そんな監督はそれまでいなかった」
露久保 「精神面で選手を鼓舞するとか、鍛えることも監督の仕事です。例えば『打倒巨人』とか・・」

▽監督で勝てるのは10試合それとも50試合

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司会 「名監督になるには常に勉強が必要ということですが、プロ野球では監督の采配で勝つのはシーズンで7、8試合と言われます。指揮官の勝敗に及ぼす比重はどの程度なのでしょうか」
露久保 「50㌫はあると思います。選手の力が20%くらい。それと球団とか他の要素もある。1974年にロッテの優勝と2013年の楽天の優勝は金田正一監督、星野仙一監督の力だったでしょう」
山田 「ベンチがサインを出して選手を動かすのだから、ベンチ(監督)の力は大きいです」
司会 「以前、古葉竹識監督(広島、横浜)に聞いたとき、監督は采配だけでなく、選手のトレードなどチーム作り、キャンプや日ごろの練習メニュー、選手のコンディション管理などあらゆることに責任を持ち、最終決定する。従ってチームの成績に非常に大きな比重を占めると語っていました」
高田 「川上監督は柴田(勲)、高田(繁)、土井(正三)に打線の中での役割を与えた。出塁して王、長嶋につなげろと。3選手は川上監督が作ったともいえる」
菅谷 「王、長嶋は選手時代、明らかなファウルボールでも最後まで追いかけた。川上監督に聞いたら『(風が急に吹いてボールがグランド内に戻る)万が一のことがある。だから最後まで追う』と。そうした監督の考え方を徹底することでチーム、選手を作っていく」
露久保 「チームを作るということでは野村克也監督(南海、ヤクルト、阪神、楽天)、広岡達朗監督(ヤクルト、西武)は優れていたと思います」
真々田 「ただ、名監督の条件を備えていても、率いる球団によっては結果を出せないこともある。ある程度の戦力は欠かせないでしょう」
菅谷 「ありあまる戦力を生かせず、優勝できなかった監督の例は少なくないですよ」
司会 「采配、人間性、観察力、管理能力、進取の精神、そして時には非情さ。ひと筋縄ではいかない選手をまとめて戦うのだから、清濁併せ飲むような人でないとなかなか結果は出せないようですね」(続)
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注1 1964年5月5日の巨人戦で白石監督が一塁手を一塁線上、二塁手を一塁寄り、遊撃手を二、遊間、三塁手を遊撃手の守備位置につかせ、外野手も右寄りに守らせた。打球の約8割が右方向の王にプレッシャーをかけるのが狙いだった。
注2 米国の作家デール・カーネギーの自己啓発書。世界中でベストセラーになった。