第20回 セイ・ヘイ (島田健=日本経済)

◎tetuduki ¥¥ザ・キャッチを予言

▽広報マンの発案

ザ・セイ・ヘイ・キッドとして親しまれているウィリー・メイズ(1931年=昭和6年生まれ)は、51年にジャイアンツで新人王に輝くが、52年途中から朝鮮戦争で兵役を務めることに。54年春に除隊が決まり、キャンプ期間中は彼が復帰したチームが、優勝争いに復帰するかどうか当時本拠地のニューヨークでは大きな話題になった。
 広報マンのテッド・ワーナーは唄を作って売り込もうと画策、ブロードウェイのコラムニスト、ディック・クライナーに作詞を頼み、ジェイン・ダグラスに曲を依頼してできたのがこの唄だ。エピックレコードが買って、リズムアンドブルース系のファミリーバンド、トレニアーズが同年7月にリリースした。

▽最初は泣かず飛ばず

当時は同様の曲が数あって、売れ行きも良くなかったが、内容は走攻守そろったメイズの讃歌。
 1番で打球の強さ、2番では鷲のように速い走塁、3番でどんな打球でもセンターでアウトにする守備、4番では彼が軍役についてからは、チームは不調、復帰でドローチャー監督も喜び、まだ23歳なんだからこれからもっと活躍すると期待を持たせる。
 そのとおり54年はなんと41本塁打、110打点、打率3割4分5厘とブレークしてナショナルリーグのMVPに輝いた。

▽史上最長の背走、キャッチ

メイズを大きく有名にしたのが、唄の3番をまさに具現化したワールドシリーズ初戦(相手はインディアンス)だった。
 舞台は両翼が狭いが、中堅は147メートルもあったニューヨーク・ポログラウンド。2ー2の八回表、無死一、二塁でヴィク・ワーツの打球はセンターへの大きな打球。メイズはバックスクリーン方向に懸命に走り、前を向いたまま取った。
 これが、「ザ・キャッチ」である。すぐに返球して、この回は無失点。ジャイアンツは十回に右翼スタンドぎりぎりの3ランでサヨナラ勝ち、その勢いのまま4連勝した。

▽セイヘイの意味は

メイズはその後も活躍、500(660)本塁打、3000(3283)安打、300(338)盗塁、打率3割(3割2厘)を全てクリアするただ一人の選手として名を残したが、この唄も数ある野球関連の唄の中で上位を占めるロングセラーになった。
 新人のときの口癖 〝Say who,Say what, Say where, Say hey 〝からメイズのニックネームは生まれたらしい。セイ・ヘイは「おい、よろしくな」ぐらいの簡単なあいさつの言葉のようだが、とにかく覚えやすいあだ名ではある。検索する時は Say Hey(The Willie Mays Song) 。(了)