第22回 トーキン ベースボール (島田健=日本経済)

◎球団別のバージョンも完備

▽野球と歌手の二刀流

 作者のテリー・キャッシュマン(1941年=昭和16年生まれ)は若い頃、シェブロンズというバンドで歌を歌う一方、本名のデニス・ミノーグとしてデトロイト・タイガースの下部球団に所属して、投手として活躍することを目指していた。
 一番の目標だった野球はマイナーリーグに進んだものの、1年で「とても通用しない」とあっさり引退。歌の道に舵を取り直した。音楽界ではいくつかヒットを飛ばしたが、彼を最も有名にしたのは野球を題材にしたこの唄である。

▽同時代の3人の偉大な中堅手

 キャッシュマンはある日、1枚の絵に出会った。
 ウィリー・メイズ(ニューヨーク・ジャイアンツ)、ミッキー・マントル(ヤンキース)、デューク・スナイダー(ブルックリン・ドジャース)、ジョー・ディマジオ(ヤンキース)が顔をそろえていた。ディマジオを除くと3人とも50年代に同じニューヨーク市で同時期にプレーしたセンタープレイヤー。
 3人を讃えようと浮かんだ唄が「ウィリー、ミッキー、アンド、デューク」である。この唄が、人気が上がり、各球団別のバージョンが出るにつれて、元の歌詞にある「ウイアー トーキン ベースボール」からトーキン‥が通称名として有名になった。

▽あだ名や通称で名前が浮かべば「通」

 内容は50年代からこの曲が発表された81年までの大リーグ史上有名な選手、監督オーナーの名前、ニックネーム短い形容詞などが30以上連ねられている。チームの古いあだ名もあり、すべてが分かれば相当の大リーグ通といえる。なかにはエピソードまで含んでいるから面白い。
 「ヨギは漫画を読む」はヨギ・ベラが大の漫画好きだったことを表しているし、映画で野球選手を演じたロナルド・レーガン大統領の再選を示唆する歌詞もある。ミジェット・ゲーデルといえば51年にセントルイス・ブラウンズのオーナーが1日だけ契約し代打で起用した身長120センチ足らずの選手のことだ。「ザ マン」は言わずもがなだろう。ただし、3つのニックネームは作者の友人のものというから気をつけて。

▽ストライキを癒やす

 リリースされた81年は大リーグがストライキをした年。それもあって、この曲は野球ファンの心を癒やすことにもなったという。野球の歴史にもなっているこの唄は選手名がどんどん出てくるだけに、各球団ファンから自分のチーム専用のバージョンを望むのは当然だろう。
キャッシュマンは各球団向けの唄を書きまくった。おかげで「球界のバラード歌手」というニックネームを貰い、01年には野球の殿堂で表彰を受けた。ただ、単なる量産でなく、やっぱり歌詞に凝るのが作者の真骨頂。本歌で「セイヘイ セイヘイ セイヘイ」(メイズのあだ名)という繰り返しはレッドソックス版では「フェンウエイ フェンウエイ フェンウエイ」(球場の名前)となっているのだ。検索は「Talkin‘ baseball」で。(了)