「いつか来た記者道」(22)-(露久保孝一=産経)

◎背番号「17」佐々木、170キロ出し完全試合だ!?

プロ野球選手にとって、背番号は自己の存在を示す身分証明書みたいなものである。投手には「11」や「18」「34」などがエースや名投手の代名詞になり、打者なら「1」「3」「7」などが好打者の印象を与える。
令和時代になり、2020(令和2)年にはルーキーや移籍選手が新しい背番号をつけて登場した。その中でマスコミ、ファン注目の的は、最高167キロのスピードピッチャー、佐々木朗希である。千葉ロッテマリーンズのドラフト1位がつけたのは、背番号「17」だ。
いつ、どこで170キロを出すか?
彼が動けばマスコミが追い、ファンは、プロの打者との速球勝負に熱い視線を送る。170キロを記録すれば、もちろん日本プロ野球史上初の快挙である。
 2019年10月、ドラフト会議で競合指名によりくじを引き当てたロッテは、すぐ背番号を決めた。
「将来170キロを出してほしいという思いを込めて、背番号を『17』にしました」
これを受け佐々木は、
「スピードは自分の長所だと思うので、そこは一番を目指して頑張りたい。偉大な先輩方がつけた背番号ですし、番号に合った活躍ができるように頑張りたい」
とはっきり目標に定めた。

▽最多42勝あり、200勝目前での無念あり 

長い球界の歴史にはいろんな背番号物語がある。背番号17と聞けば、野球ファンは、各チームの名投手や個性派投手、あるいは「悲運のエース」を思い浮かべるかもしれない。
代表的な投手を挙げれば、巨人のビクトル・スタルヒン、藤本(中上)英雄、槇原寛己、ヤクルトの松岡弘、大洋の秋山登、斉藤明雄(明夫)、中日の牛島和彦、阪急の山田久志、西武の高橋直樹らエースクラスが目立つ。
では、佐々木の先輩たちのロッテ投手陣はどうか。
1969年のロッテ・オリオンズ誕生後は、佐藤元彦から野村収、金田留広と続き、その後、深沢恵雄、武藤潤一郎、成瀬善久らに引き継がれた。その中で、通算成績は成瀬が90勝、深沢81、金田74の順に多い(金田は5年間在籍)。ロッテでは、「大エース」まで届かなかった17番たちだった。
球界全体を見渡せば、17番の投手ではスタルヒンが日本最多の42勝を挙げ、藤本は初の完全試合を1950年に達成した。それから44年後、槇原が平成時代唯一の完全試合を成し遂げた。彼らの力投は、名投手にふさわしい17番の雄姿であった。
しかし、悲壮感漂うエースもいた。60年大洋で下手投げエースとして21勝をあげリーグ初優勝、日本一の立ち役者になった秋山は、通算200勝に7勝足りなかった。ヤクルトのエースだった松岡は78年、リーグ優勝でも日本シリーズでも胴上げ投手となり沢村賞を取ったが、こちらも200勝に届かなかった(191勝)。下手投げでは日本最多となる通算284勝を記録した山田は、V9巨人にはついぞ勝てなかった。

▽佐々木に課せられた課題はフォーム完成

佐々木は、どのようなタイプの投手になるだろうか。
エース級の経験者によれば、体力を鍛えて上下半身のバランスがぴたりととれた投球ができたときに170キロは出る、と予言する。170キロのスピードで完全試合達成とでもなれば、世の中は驚愕と祝福で騒然となる。
背番号から将来を予想しても、夢が膨らみそうだ。(続)