「菊とペン」(2)-(菊地順一=デイリースポーツ)

◎「俺は殺(や)るつもりなら殺(や)れるんだぜ…」
 今回はいきなりのハードボイルドタッチで始めますが、長い記者生活の中で肝を潰したエピソードを記したいと思います。
 あれは20代後半のことです。某球場の駐車場を歩いていると、後ろから車のエンジン音が。振り返ると1台の外車がスピードを上げて私に迫って来ます。
 まさか…と思いながら私は駐車場の壁へと向かいました。それでも外車は向かって来る。反射的に壁を背に体を付ける。外車は私の目の前、ほんの数センチでピタリと止まった。そして運転していた男はドアを開けると私に冒頭の言葉を吐いたのでした。ベテランのX選手だった。
 前日の試合前練習、私はベンチに腰を掛けて、近くにあったバットのグリップ部分に顎を乗せて選手の動きを追っていた。
 すると、外野から引き揚げてきたXが「お前、俺のバットを股に挟んだろう。バットは武士の刀と同じだ」とすごんできた。
 たまたま、Xのバットだったが、そんな失礼なことはしていない。遠目にそう見えたのでしょう。否定したが、Xは引かない。「俺は3試合連続でヒットを打っている。きょう打てなかったら、お前のせいだ」と凄い形相でにらんできた。ちなみにXの打撃は決していい方ではなかった。
 この試合、Xのバットから快音は聞かれず、4打席目で代打を告げられた。(こう記憶している)。試合後のXの表情は意外に穏やかで、私も「そろそろヒットも止まるころだろう。」と気にもしなかったが、ところがどっこい、
Xはすぐに『復讐』してきたのだった。
 Xはバットを触られたことで、好調の波に石を投げられた気持ちになったのかもしれない。Xはその年のオフに首になった。
 以来、私は選手の道具には無断で触れないように心がけるようになった。(了)