「100年の道のり」(45)-日本プロ野球の歴史(菅谷 齊=共同通信)

◎NHK中継、巨人-阪神のスタート
 産声を上げたばかりのプロ野球。当時は「職業野球」と呼ばれ、不安定な職業というのが国民の見方だった。けれども将来性を見込んだ業界もあった。
 その一つがメディアである。
 リーグが発足した1936年の7月に行われた連盟結成記念全日本選手権試合は、東京(戸塚)、大阪(甲子園)、名古屋(八事山本)で行われた大会で、通称「三都大会」と言われている。
 東京での試合を現在のNHK(当時は東京放送局)が中継したのである。二人のアナウンサーが掛け合いで試合の模様を電波に乗せた。プロ野球が今日の隆盛を予期したとすれば、その先見性に驚くばかりである。
 この三都大会は、連盟に加盟した7球団が初めてそろった。米国遠征から戻った巨人と同じく外地遠征していた金鯱が参加したからである。
 4月の第1回日本職業野球リーグ戦から5月中旬から下旬にかけての鳴海大会、宝塚大会、そして三都大会までの成績は次ぎの通り。試合数は海外遠征のチームやトーナメント方式などがあったので異なる。
① セネタース 14勝4敗 7割7分8厘
② 阪急 11勝7敗 6割6分7厘
③ 阪神 9勝6敗 6割
④ 金鯱 6勝5敗1分け 4割5分5厘
⑤ 名古屋 7勝9敗 4割3分8厘
⑥ 巨人 2勝5敗 2割6分8厘
⑦ 大東京 13敗1分け 000
 セネタースは優勝3回、続いて阪急2回。大東京は惨憺たる成績だった。
 公式記録に残っている戦績とは別に、各チームともチーム強化に力を入れていた。選手獲得は当然だったし、監督交代などもあった。スタートして間もないというのに勝負へのこだわりはすさまじいものだったことが分かる。
 そんな中で、今でも”伝統の一戦“として注目度の高い巨人-阪神が行われている。
 最初の対戦は、巨人が米国から戻って間もない6月5日、甲子園でのオープン戦だった。この日は土曜日で観衆240人ほど。阪神が8-7で勝った。巨人は4失策が響いた。翌日の第2戦も阪神が延長10回、6-5でサヨナラ勝ちしている。
 その後の公式戦、三都大会では最後の名古屋で対した。7月15日のことである。またもや8-7で阪神が勝利した。決勝点は巨人の投手ゴロ失策で、米国遠征の成果どころではなかった。(続)