「100年の道のり」(53)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)

◎“酒仙投手”の一人舞台
 1937年(昭和12年)秋のシーズンは阪神の独走優勝だった。39勝9敗1分け、勝率8割1分3厘で、2位巨人に9ゲーム差をつけた。しかも対巨人は7勝無敗。「無人の野を行く勢い」と阪神が胸を張ったシーズンである。
 そのヒーローは投手の西村幸生(ゆきお)。秋季リーグ戦で最多勝(15勝)と防御率1位(1.48)の両タイトルを獲得した。関大時代には剛球で知られ、東京六大学の早慶明法をひねりつぶしていた。「関大に西村あり」といわれた実力者だった。プロ入りしたときは技巧も兼ね備えていた。
 巨人との開幕戦(西宮)で勝ったのをはじめ巨人戦4勝。さらに春季優勝の巨人との優勝決定戦(7試合制)でも優勝を決めた第6戦を含め3勝を挙げた。沢村に投げ勝つ投手としても注目を集め、異名は「巨人キラー」-。
 優勝決定戦は12月1日からこの年に完成したばかりの後楽園球場でスタートした。成績は次の通り。
・第1戦(後楽園)〇阪神4-1巨人● 勝=西村  敗=沢村
・第2戦(後楽園)〇阪神7-4巨人● 勝=御園生 敗=沢村
・第3戦(甲子園)〇阪神8-2巨人● 勝=西村  敗=沢村
・第4戦(甲子園)●阪神5-6巨人〇 敗=御園生 勝=沢村
・第5戦(後楽園)●阪神5-11巨人〇 敗=景浦   勝=前川
・第6戦(後楽園)〇阪神6-3巨人〇 勝=西村  敗=沢村
 沢村が5試合の勝敗に絡んでいる。まさに「沢村命」の巨人だった。
この沢村に勝った西村は、実はプロ入りしたとき28歳だった。社会人でプレーした後、大学に入学したからである。豪快な性格で、阪神に入団して間もなく、宿舎で徹夜麻雀をしていた監督をなじり、取っ組み合いをしたエピソードが残っている。
それと酒豪。飲んでは投げ、投げては飲む…というところから、付けたあだ名が主戦投手にかけて“酒仙投手”。沢村相手に一歩も引かなかっただけに文句なしの一級品だった。47年は西村の一人舞台といえた。
 名物投手が活躍したのはわずか3シーズンだった。通算55勝21敗、勝率7割2分4厘、防御率2.01。関大時代、ハワイに遠征したときに出会った女性と結婚し、4女に恵まれた。しかし、兵役に取られ、沢村と同じく戦死した。(続)