「プロ野球記者OB座談会」第1回(2017年10月5日)

-大谷翔平は史上最高の速球王か?-

[出席者] 司会・露久保孝一(産経)岡田忠(朝日)高田実彦(東京中日スポーツ)島田健(日本経済)大場宇平(報知)菅谷齊(共同通信)田中勉(時事通信)真々田邦博(NHK)寺尾皖次(テレビ東京)深澤弘(ニッポン放送)荻野通久(日刊ゲンダイ)
(選手名の所属チームは、当時の球団名とし、複数の球団に所属した場合は、最も活躍した時代の所属とした。敬称略)

司会・露久保 「プロ野球の魅力はたくさんある。打者のホームラン、盗塁、投手の速球による三振など、いつの時代でもファンを魅了してきた。その中から投手の速球に焦点をあてたいと思う。投手のスピードを計るバロメーターはスピードガンの表示である。これまでの最高は日本ハムの大谷翔平が2016(平成28)年の広島との日本シリーズで記録した165㌔。大谷は現在、プロ野球史上最高のスピードをマークしたピッチャーになっている。そこで、大谷は過去のスピード投手を上回る速球を投げているのかどうか、これまで名をはせたスピード投手たちと大谷はどこが違うのか、大いに語っていただきたい。まず、各記者が見た速球ナンバーワン投手をあげてもらいたい」

▽江川か、江夏か、山口か

岡 田 「大谷の165キロは、数字から見れば相当なスピードボールに違いない。しかし、私の長い記者生活で、一番速かったと思うのは阪急の山口高志だ。打者に向かって、えぐるような、打者がそっくりかえるような球を投げた。とにかく速かった。阪神の江夏豊の球もすごかった」
菅 谷 「黄金の左腕こと金田正一が最も速かったという野球人の声は根強い。長嶋茂雄がデビュー戦で4打席4三振したときの金田の投げっぷりを見ると、そうかな、と思う。あのピッチングにプロ野球投手のすごさを感じたな」
深 澤 「僕が見た中での速球ナンバーワンはロッテ時代の伊良部秀輝だ。打者の手元でグーンと伸びる球を投げていた。全盛期には158㌔のスピードを記録している。投げた瞬間の初速とホームベース上を通過する時の終速に差がないから、それが威力を増しているんじゃないか。巨人の江川卓や阪神の藤川球児も、初速と終速の差が5㌔くらいだといわれているから威力はある。三振が取れるのは、球のスピードが最後まで変わらないというのが大きな要素だろう」
真々田 「僕も山口高志が一番だと見る。ボールがどこへいくかわからないというコントロールの悪さはあったが、速球はホップしてグーンと伸びた。体は小さくても(身長169㌢)、ダイナミックな投法だった。パ・リーグの好打者は何人かが、山口が一番速いと言っている」
田中 「私が現場で見た中では江川が一番速かった。高めに浮く速球には威力があり、打者はだいたいバットが空を切っていた。大谷は、初速は速いけど、打者の手元で減速するイメージもある」
露久保 「私も、山口をナンバーワンにあげる。実際に後楽園球場での日本シリーズでその剛速球を見た。投げたと思ったら、もうミットに入っていた。彼は独特の“アーム投法”で、真上に腕を伸ばし大きな円を描くように鋭く振り下ろす。球が光線となってミットに吸い込まれていく感じだった。強靭な背筋力があのスピードを生んでいる、と阪急のコーチから聞いた」
大 場 「やはり、速いのは江夏じゃないの? 自分が阪神担当記者をしていた時に見た江夏が一番速いと思っている。ところが、こんな話もある。当時の藤本定義監督にベンチで、“プロ野球で一番速いピッチャーはだれですか?”と聞いたところ、“沢村(栄治)だよ”、と返事された。でも、私は沢村の投げた球は見ていない。その噂のピッチャーの投球を一度見たかった」
菅 谷 「その藤本さんは、私には“剛球とは米田哲也(阪急)の球をいう”と言っていた。米田にその話を伝えると、本人は、そうだろう、という顔をしていた」
岡 田 「阪神の村山実も剛球タイプだった。投球フォームがダイナミックだから、見た目以上に速く見えたかもしれない」
露久保 「投手の球の速さを計るスピードガンは昭和50年代に登場した。それ以来、歴代最高の数字が出ると、それが新聞、テレビで報道され話題になっている。現在、大谷のほかに160㌔以上を記録した投手は、ヤクルトの由規(よしのり、佐藤由規)の161、阪神の藤浪晋太郎の160だ。ちなみに、大リーグでは左腕のアロルディス・チャップマン(ヤンキース)が170㌔を出している。大谷の快速球については、どんな印象か?」

▽低めの速球は威力十分

島 田 「スピードが本物かどうかは、バッターを空振りさせられるかどうか、でしょう。その点、大谷の速球は打者に当てられちゃう。だから165㌔と聞いても、あれっ、そんなに速いのか、となってしまう。大リーグで投げている上原浩治(カブス)は、140㌔台のスピードでも結構三振を取っている。大リーグの投手の球はスピンが効いているので落ちない」
荻 野 「大リーガーの投手のボールはスピンの量が多いから(同じ球速でも)威力がある。単なる球のスピードとは違う。そこが日本の投手との差ではないか」
田 中 「大谷の165㌔は実際に計測されたのだから文句のつけようがない。ただ、そのスピードで三振を奪っているか、というと疑問は感じる」
高 田 「彼は背が高く、身長193センチもある。だから、上から投げおろす低めの球は威力があるんだね」
深 澤 「大谷には、力強さと柔軟さを感じる。バネを利かせた足腰と軟かなヒジを使ってリリースする投球には、天性のものがあると映る」
岡 田 「スピードガンの測定はどのようにしているのか気になる。例えば、球を受けるキャッチャーの後方で計った場合と、バックネット裏中段くらいのところで計った場合では、差が出てくるんじゃないか」
島 田 「スピードガンで測定する位置は、基本的にはバッテリー間を結んだ延長に近いところになっている。その測定器から、テレビ中継で数字を出すようにしている。最近の器械はよくなっており、正確さは信用できると聞いている」

▽下手投げ一番は杉浦

露久保「大谷には、大きな魅力があるが課題もあるという指摘には、ファンもそう感じているのではないか。今後の投球がさらに注目されるところ。さて、昭和、さらに平成に入り速球派と呼ばれる投手は、これまで登場した以外にも多く輩出した。その名物ぶりを語ってほしい」
大 場 「南海の杉浦忠はサイドスローながら速かった。スピード投手は普通、オーバーハンドなのに、サイドスローや下手投げ投手で速球派は珍しかった」
岡 田 「杉浦の球はグーンと持ちあがって伸びた。阪急のアンダースローの山田久志とは違っていた」
菅 谷 「杉浦はオーバーハンドの投げ方をサイドスローに生かして投げた。だから速い球が可能だったのだと思う」
岡 田 「そう、杉浦は上から投げるとコントロールが悪かった。それで、サイドスローに・・・(笑)」
高 田 「野茂英雄もいた。彼は独特のトルネード投法で剛速球を投げていた。大リーグで活躍した名物投手だったね」
田 中 「ヤクルトからソフトバンクに移り、いま活躍中の五十嵐亮太もスピードがある。158㌔を出したという新聞記事を読んだ」
菅 谷 「広島の外木場義郎も鋭い球を投げた。完全試合とノーヒットノーラン2度もやってのけたことが証明している」
岡 田 「うん、速かった。それとカーブにブレーキがあった」
菅 谷 「160㌔といえば、川上哲治さんが監督を辞めた後、スタルヒンは160㌔は出していた、と言っていたね。沢村よりも速かった、とも言っていたことを覚えている。両投手と一緒にプレーしていたから信じられる話だ」
露久保 「スタルヒンはロシア出身の大柄な投手でプロ野球史上初の300勝を挙げている。その墓が秋田にある。大谷は岩手県奥州市の生まれ。古くからの東北の野球ファンは、スタルヒンと大谷を評して、”秋田と岩手は隣県同士、ますます野球熱が高まっていいね”と言っていた。ちなみに、大谷は高校3年の時にアマナンバーワンのスピードである160㌔を出している。高校野球岩手大会の一関学院高との試合だった。もちろん、高校生で史上初の数字だった」

▽ファールチップで拍手

寺 尾 「速い投手は多くいたが、やはりすごかったのは江夏。1968年(昭和43)に年間最多奪三振401の新記録を作ったように、スピードのある球で三振を取っていった。江夏は、日本新記録の三振は王貞治から取る、と公言し、その通り王から奪った。コントロールといい、頭脳といい見事なものだった」
大 場 「江夏は全盛期には160㌔くらい出していたかも。彼はまじめに野球に取り組んでいたら、さらに大記録を作っていただろう。なにしろ徹夜して巨人戦に投げてシャットアウトしちゃうんだから・・・」
岡 田 「江夏は野球頭脳が良かった。打者にファールされた球を覚えていて、次の対戦では、そのコースを外して投げていた」
菅 谷 「巨人V9時代の主力に対江夏のことを聞いたことがある。1球ファールすると二度とそこへ投げて来なかった、あとはバットの当たらないコースにしか投げて来ない、という。つまり打者は1球勝負で、それを打ち損じたら負けというんだ。長嶋、王は別だけどね。ほとんど言われていないが、江夏は投球術を勉強していた。本人から何度か聞いた。やはり裏付けがあるんだ。阪神時代は本格派で、けた外れの惚れ惚れする投手だった」
露久保 「さきほど大谷の高校時代の話をしたが、高校時代から怪物といわれた投手がいた。作新学院時代の江川だ。高校野球栃木県大会で見たが、取材で興奮したのは初めてだった。江川はバッタバッタと三振の山を築き、バッターが球に触ってファールチップをしても、スタンドから“当たったあ”、と拍手が起きたほどだ。高校で完全試合が2度、ノーヒットノーランが7度もあり、史上ナンバーワンの高校生投手であることは疑いないところだろう」
菅 谷 「江川は高校からプロに入っていれば250勝から300勝の可能性があった投手だったと思う(実際は135勝)。大学の4年間、浪人の1年、本来の姿に戻るために費やした巨人での最初の1年の計6年間は、投手としてはもったいないブランクだった。江川は自分の最高の球を投げなくても打ち取れるという超一流のレベルにあった一人だと思う」

▽世界の王が認めた“速球投手”

露久保 「ほかにもスピードピッチャーは、いましたよね」
寺 尾 「稲尾和久もキレのある速球を投げ込んでいた。西鉄ライオンズの黄金時代の大エースだから、そりゃ、球が速くなければもたなかった」
荻 野 「王さんに聞いたら、ヤクルトの安田(猛)が一番速いと言っていた(笑)。140㌔も出ていないと思うが、スローカーブと直球の球速差が大きく、それですごく速く感じるという。実際の球速と打者の感じる球速は違うということでしょうね」
大 場 「南海の皆川睦雄は下手投げで遅い球を投げていたが、68年に31勝もした。最後の30勝投手だ。なぜ、あんなに勝てたのか。皆川の投球を見ていると、投手はスピードではなくテクニックだ、とも思ってしまう。でも、こういう投手は少数だよね」
菅 谷 「皆川の球は、なかなか来ないから打てないよ、とパの打者は苦笑いしていた(笑)。実はチェンジアップが最高の武器で、速球を投げるときとフォームが同じ。打者は見事にタイミングを外されちゃう。後輩投手たちが目を丸くしていたもの」
露久保 「”星の王子様”こと阪急の左腕・星野伸之もそうだった。あだ名のようにやさしく、球威は最高135㌔と遅かった。西武の田淵幸一がよく星野からホームランを打ったが、田淵は判で押したように、“打ったのはスライダーだ”、とニヤリとして言っていた。ストレートを本塁打したのに、球が遅いからわざとスライダーと表現したんだ。われわれ記者はそれを知っていたから、田淵がスライダーと言っても、原稿では、ストレートを本塁打した、と書いた(笑)。ただし記事は短くしか掲載できなかった。読者には説明不足だったと反省しています」
菅 谷 「投手の生命は速さとコントロールだ。打者は打撃マシーンを使ってガンガン打つ練習ができ、時代とともに打者の技術は上達し、飛距離は伸びるようになった。しかし、投手は体力面から投げる量に限界があり、そうは伸びない。打者優位の状況が続いている。だから勝つためにはコントロールの上達が絶対条件になる。球威と制球力の両方を兼ね備えたた投手が一流投手の条件だ。金田、米田、稲尾、江夏らはそうだった。大谷にはまだそういうイメージはない」
真々田 「阪急の梶本隆夫は左腕から快速球を投げ込んだ。米田と並ぶ阪急の両輪で、デビューした年に20勝を挙げるなどすごさを発揮した。南海戦で連続9奪三振(1958年)というのは見事だった、と先輩から聞いた」
岡 田 「近鉄の鈴木啓示(けいし)は剛球派だった。左腕から振り下ろす球筋はきれいだった。制球が抜群に良く、スピードとコントロールを兼ね備えた理想的な投手だったといわれた」
島 田 「“サンデー兆治”ことロッテ・村田兆治も、まさかり投法で重くて速い球を投げていた。研究熱心で努力家で、40代で年間2ケタ勝利。引退後は50代で140㌔、60代で130㌔のスピードを出したという」
田 中 「東映の森安敏明も評判の速球派だった。岡山県の関西高時代は、岡山東商の平松政次(大洋)、倉敷商の松岡弘(ヤクルト)とともに“岡山三羽ガラス”と呼ばれた。3人ともスピードがあったが、森安の場合は、66年プロ入り初登板で初完封した。スリークォーターからの剛球は、パでもトップクラスだった」
深 澤 「平松はカミソリシュートがすぐ話題になるが、彼のストレートそのものも速かった。コントロールも良かったし、そういう意味では、完成された投手だったね」
露久保 「松岡は愛嬌のある投手であり、最後は200勝に届かず悲運のエースに終わった(通算191勝)。でも“とびだせヤクルトスワローズ”の応援歌の歌唱は素晴らしかった。応援歌の歌謡大賞だ(笑)」
荻 野 「中日のリリーフ・エースだった与田剛もスピードピッチャーの一人。1990年に当時最高の157㌔のスピードを出している。華やかな剛球投手だったが、現役生活は短かった」
高 田 「巨人のV9時代には、驚くほどのスピード投手はいなかった。それでもエースの堀内恒夫はスピードのある球を投げ勝っていた」
菅 谷 「堀内にはこんなエピソードがある。V9の真っただ中の70年当時、日本シリーズの前、パの審判員に、”僕のカーブは一度ストライクゾーンを外れ、そこからまたストライクゾーンに入ってくるからよく見ていてください”、と言ったという。それほどカーブには自信満々だったんだろうけど、伝説になりそうな話だ」
岡 田 「阪急の今井雄太郎も速かったなあ。投げる前に監督から紙コップで”お前、飲め”と言われてぐいと飲んでマウンドに立ったという話が伝わっている。何を飲んだかというと、ビール。今井は気が優しいから度胸をつけさせろ、ということなんだ。その効果なのか、仙台のロッテ戦でノーヒットノーラン(78年8月31日)。酔った勢いで大記録というところかな(笑)。このエピソードも伝説になるだろうな」
菅 谷 「南海、巨人でエースの別所毅彦も速かった。高校野球の選抜大会で骨折した左腕を三角巾でつりながら投げた。負けたけれども。翌日の新聞の見出しは“泣くな別所、選抜の華”。プロでは典型的な剛速球投手だった。金田の前のナンバーワンといっていい。毎日の左腕荒巻淳は、”火の玉投手”と呼ばれたほどキレのいい速球を投げた。この異名は大リーグの速球投手で、開幕戦ノーヒットノーランを演じたボブ・フェラーのものをそっくりいただいた由緒ある呼び名だった。しかし、投手生命は短く、惜しい投手だった」

▽球速は投手の大いなる魅力

露久保 「プロ野球は昭和30年代に入ると本格的なテレビ中継もあって、国民のスポーツとして人気を高めた。しかし実際はプロ野球の歴史は戦前からあり、沢村、スタルヒンら速球派がいて、戦後も数多くの速球投手が出てスピードを競ってきた一面もある。ここで、きょうのテーマに戻りたい。大谷はプロ野球史上最高のスピード投手か、という点についてそれぞれの考えを述べてもらいたい」
岡 田 「スピードガンで165㌔を出したということは、見た目ではなく実証だ。大谷は史上ナンバーワン速球投手である、と言っていい」
田 中 「大谷が一番でいいと思う。大谷を球場で見てみたいという人が多くいるのは、大変な魅力だ。プロ野球を知らない人でも、大谷翔平の名前は知っている。165㌔は大谷の人気と魅力のひとつであり、それは球界の中で群を抜いて光っている。大谷の評価は総合的に見るべきだと思う」
大 場 「大谷はテレビでしか見ていないが、それで投球を見ると、本当に速いのかなと感じる。日本一というには、私は抵抗がある」
寺 尾 「165㌔は意味がない。スピードを出しても勝てるかどうか、が大きな問題になる」
島 田 「大谷は奪三振が少ない。僕は球場で試合を見ているが、ちょっと物足りない感じがする。三振をバッタバッタと取っていけば、165㌔という数字が光り輝いてくるのだけど」
荻 野 「沢村、スタルヒンたちは、僕は見たことないが、160㌔は出ていないと思う。多くの野球ファンや評論家の方は、昔の投手の球は速かったとノスタルジアで言っている印象を受ける。大谷の165 ㌔は記録された数字なのだから、そのまま受け入れてもいいんじゃないか」
高 田 「スピードを計る状況によって差が出るという疑問は残る。大谷に関しては、バッターでやった方がいいという印象だ」
菅 谷 「165㌔を出してトップニュースになるのは魅力がある。彼はいま日本プロ野球界の大スター扱いされており、その存在は大きい。投球のスピードだけではなく、常にその動きで話題を提供するのはプロ野球界にとって宝といえるのではないか。その上で私は打者大谷に果てしない魅力を感じる。長嶋や王に抱いたような夢を、ね。打者なら常時出場となり、ファンは毎試合、彼のバッティングを見られる。三冠王の可能性を持った数少ない選手といっていい」
露久保 「プロ野球を現場で見てきたベテランの記者ならではの豊富な体験と知識を披露していただいた。私自身もかつて日本の選手にはいなかった大スターの魅力を大谷に感じる。映画俳優の国民的スターだった石原裕次郎が野球選手になったようなイメージさえ受ける。歴代ナンバーのスピード王といっても
過大評価ではないようだ」(了)

座談会シリーズは今後、さらに面白いテーマに沿って提供し、皆さまに現在の目からプロ野球界の歴史をお伝えしていきます。ご期待ください。(了)