第8回 「後楽園球場」(上の2)-取材日2008年3月上旬-
◎ミスタープロ野球の涙
▽花束、涙、あの日の姿
第1試合が終わった午後2時過ぎ、長嶋は一塁ベンチから右翼席前へと歩み出す。小野は万一に備え長嶋の後方内側を付いて歩いた。右中間あたりでふと見ると、長嶋が泣き出していた。
「あの性格だからね。よほど、ファンに直接お礼が言いたかったんだな」
小野はしみじみ思った。
長嶋は花束を抱え、涙を拭いながらグラウンドを一周する。
誰ひとりグラウンドに下りるファンはいない。感謝と惜別の思いが渦巻く興奮を抑えて、不思議なくらい静かに「背番号3」と別れを告げた。
ファンの胸に去来していたのは、あの日、4三振を喰らってデビューした若者の屈託のない姿か。あの時、天覧試合でサヨナラ本塁打を放った男の勇姿だったか。そして、ここという場面で期待通り快打した昭和のヒーローを改めて思い起こしていたに違いない。
▽もう1年、現役でやらせて下さい
小野とは、08年1月、に西武池袋線の保谷駅近くの喫茶店で逢った。83歳にして、若々しい風貌だ。思い出のひとコマひとコマを手繰り寄せながら話した。
長嶋引退のセレモニーを企画、演出したのは小野である。
長嶋の引退について小野は72年辺りからアンテナを張っていたそうだ。
するとV8を飾った72年10月のある夜、都内墓所で川上哲治監督が長嶋と小野を呼び、長嶋に引退を勧めた。
小野によると、川上は長嶋に打診するようにこう言ったそうだ。
「どうだ、今年限りでバットをおいて、ワシのあとを継がんかね」
長嶋は納得するどころか、正座して頭を下げ懇願した。
「打撃を極めたい。お願いです、もう1年やらせてください。お金も、名誉も要りません」
これに対し川上は、
「君の今の打撃ではもう3割は打てない。今が引き刻だぞ」
引導をわたすような口調だった。
重い言葉だが、自分がかつて辿った経験からのアドバイスである。
あとで川上は、
「記録も大切だからな」
と小野に漏らしたという。(続)