プロ野球最高の選手は誰だ-クラブ員が選ぶベストナイン①

◎プロ野球最高の選手は誰だ-クラブ員が選ぶベストナイン①

【出席者】司会・山田收(報知)、菅谷齊(共同通信)、露久保孝一(産経)、佐藤彰雄(スポーツニッポン)、財徳健治(東京)、高田実彦(東京中日スポーツ)、島田健(日本経済)、荻野通久(日刊ゲンダイ)、真々田邦博(NHK)小林達彦(ニッポン放送)

日本プロ野球が本格的にスタートして85年。常にドラマを作り続ける男たちがいた。ではだれが、最高の選手なのか。長きにわたって、球界を取材してきた会員にそれぞれが考えるベストナインを選んでもらった。第1回は投手編。

 プロ野球80周年だった2014年にNPBがベストナイン(記者投票)の受賞回数を基準として、次のように発表した。(カッコ内は主な所属、円内数字は受賞回数)
P=別所毅彦⑥(巨人)、C=野村克也⑲(南海)、1B=王貞治⑱(巨人)、2B=千葉茂⑦(巨人)、高木守道⑦(中日)、3B=長嶋茂雄⑰(巨人)、SS=吉田義男⑨(阪神)、OF=張本勲⑯(東映)、山内一弘⑩(毎日)、福本豊⑩(阪急)、山本浩二⑩(広島)

-投手部門-

▽記録の400勝金田、総合力で稲尾

山 田「という訳で80周年ベストナインでは別所が1番ということになった。残念ながら、私はほとんど記憶にない。310勝もしたでかい投手で、巨人ヘッドコーチ時代に中村稔殴打事件で退団したということの方が強烈です」
小 林「監督や評論家時代の方が我々には身近だった」
佐 藤「記録からいえば、金田が凄い。400勝、365完投、14年連続20勝は、今後破られることはないのでは」
高 田「400勝といっても100勝は同僚から奪っている、といわれている(笑い)。本人も認めている。素直に最高の投手とはいえない」
荻 野「私は野茂英雄ですね。日米で活躍して、ア・ナ両リーグでノーヒット・ノーランを達成した。ストレートとフォークという少ない球種で日米201勝もした。任意引退で米国へ渡った経緯もあり、インパクトが大きかった」
露久保「そこは、神様、仏様、稲尾様ですね。シーズン42勝。1958年巨人との日本シリーズ。3連敗から4連勝の立役者だった」
菅 谷「そう。右投手なら総合力でNO.1の稲尾和久だ。守備力もあるし頭脳もいい」
露久保「ノム(野村)さんが、稲尾が最高、と言っている。研究して、研究しても打てなかったらしい。ある時クセを見抜いて、打ったら、次にはキッチリ直していたという。体力も凄いが、頭脳も超一流だ」
菅 谷「大沢啓二(南海)が言っていた。走者が三塁にいると、稲尾がベンチ前でキャッチボールを始める。マウンドに上がって、8球ボールを投げて満塁にする。ここまでで肩を作って、次のバッターをシュートで併殺に取るんだ、と」
小 林「実家が漁師だった稲尾が100勝したとき、ああ、オレもヒャクショウになったな、って言ってました。ホントです」
山 田「皆さんの中では稲尾が最高なんですね」

▽3種類のフォークボールを投げた杉下

財 徳「アンダーハンドですが、杉浦忠もインパクトのある投手ですね。浮かび上がるストレートと曲がりの大きなカーブが武器だった」
島 田「先発としては7年ぐらいが全盛期。1年目から27勝、38勝、31勝、20勝ですから。今では絶対無理」
真々田「手首を立てたアンダースロー、と言われて、だからこそ、オーバースローに負けないスピンのかかるボールを投げられた」
菅 谷「右腕投手を挙げるならスタミナ抜群の米田哲也。“ガソリンタンク”と呼ばれた」
高 田「同じ300勝以上でいうなら小山正明。綺麗なフォームからキレのあるボールを投げた。後半はパームボールをうまく使った」
財 徳「投手には、ここ一番で頼る決め球がある。江夏豊の右打者外角低めへの速球はまさにそれだった。大投手にはそれがある。杉下のフォークはまさにそれ。
菅 谷「杉下のすごいところは、3種類の落ち方をするフォークを持っていたこと。比較的浅く握る。今でいうスプリットから、深く挟んで落とすものまで。これを自在に操った。大きな手と柔らかな関節がそれを生んだ。まさに魔球だ」
荻 野「杉下に続くフォークといえば、村山実かな。その後では野茂、大魔神・佐々木主浩あたりが後継者か」

▽決め球列伝、シーズン24連勝の田中

山 田「これぞ決め球でいうなら、シーズン防御率0.73の藤本英雄のスライダー。私が見た中では郭泰源が素晴らしかった」
露久保「私はヤクルトの伊藤智仁。これは日本人最高といっていい」
菅 谷「稲尾の決め球がスライダーといわれるが、実はシュートが大きな武器。長嶋も日本シリーズの大事な場面で打ち取られた」
小 林「肘を痛めることもあって、最近はシュートピッチャーが少ないが、平松政次、西本聖あたりがその系譜か。そうそう東尾も打者の体スレスレのシュートが武器だった。デッドボールも多かったけど(笑い)」
島 田「カーブが武器というのもある。金田のカーブは大小あり、大記録を支えた。堀内恒夫、桑田真澄、工藤公康も落差のある縦のカーブで勝負していた。昔は“ドロップ”と言っていた」
菅 谷「“8時半の男”と呼ばれた巨人の宮田征典の落ちる球“ミヤボール”も忘れられない。今でいうツーシームなんだね」
真々田「もともと心臓に持病を持っていたから、セットしてからなかなか投げない。これが、打者を幻惑していた」
山 田「魔球から話を戻して、最近または現役の投手で候補はいませんか?」
菅 谷「田中将大ですね。特に2013年の無傷の24連勝は、あの稲尾を超えた。メジャーでも6年連続2ケタ勝利と安定した成績を残しているので、将来の有力候補ではないか」(続)=敬称略。