プロ野球最高の選手は誰だ-クラブ員が選ぶベストナイン②

◎プロ野球最高の選手は誰だ(2)

 -クラブ員が選ぶベストナイン-

【出席者】司会・山田收(報知)、菅谷齊(共同通信)、露久保孝一(産経)、佐藤彰雄(スポーツニッポン)、高田実彦(東京中日スポーツ)、島田健(日本経済)、荻野通久(日刊ゲンダイ)、真々田邦博(NHK)小林達彦(ニッポン放送)、佐竹修仁(産経)

▽捕手部門

山 田 前回、紹介したNPB80周年ベストナインでは野村克也が19回の受賞で選出された。ただ捕手像も近年で様変わりした。かつては先ず、守りが優先された。肩、インサイドワーク、キャッチング重視だが、今や打てる捕手が主流だ。三冠王を獲得した野村は先駆者でもあったが、他に候補者はいるだろうか。
荻 野 私も野村でいいが、あえて城島健司を対抗馬に挙げたい。日米で活躍したし、従来の捕手らしくない、スマートで新しいタイプのキャッチャーだった。
菅 谷 打は一流。肩は抜群に良かった。マリナーズ時代、アメリカで“ジョー・バズーカ”と呼ばれた。日本選手でバズーカを冠せられたのは初めてだ。日本では田淵幸一に匹敵する肩だった。
露久保 城島はボックスに座ったまま送球した。
佐 竹 座ったまま一塁にけん制球を投げたのを見たことがある。日本人捕手では初めてかもしれない。
山 田 古いタイプの捕手の筆頭格として、森昌彦が挙げられる。V9巨人の頭脳として、名捕手といわれた。
高 田 川上監督の忠実な部下。サインもベンチから出ていた。
菅 谷 優勝経験はNO.1。選手、コーチ、監督として24回もある。1971年、阪急との日本シリーズで快足・福本の足を封じた。後楽園で毎日、毎日、スローイングの練習を積み重ねた結果だった。加えて森は運も強い。田淵が巨人入りを熱望していた1968年のドラフト。川上さんは「田淵を獲ったら、お前はトレードだ」と言ったらしい。実現したら王、長嶋、田淵が並ぶ打線だよ。
小 林 その田淵、肩は抜群だった。彼も座って二塁へ投げた。その他はお呼びじゃなかった。
露久保 でも打撃は魅力だった。捕手をやめてからだが、西武時代のバッティング練習は見ものだった。美しいスイングに綺麗な弾道。あれだけで、見る価値があった。
山 田 近代的な捕手の代表格と思われる古田はどうですか? 立命館大時代、ドラフト候補だったが、眼鏡をかけていることで、プロが敬遠したという話をよく聞いた。
荻 野 社会人経由で入団したヤクルトでも野村監督は反対していたらしい。片岡宏雄元スカウトによると、後になって「オレが獲った」と言っていたそうだ(笑い)。
露久保 あの落合博満と競り合って首位打者になった。日本シリーズでのイチロー封じも記憶に残っている。
菅 谷 挙げてきたメンバーの中では一番まとまっているのではないか。野村は特に晩年、守りがいただけなかった。
島 田 皆さん、野村の評価があまり高くないですね(笑い)。
山 田 不滅と思われた野村の試合出場記録を破ったのが谷繁。捕手で3021試合出場は凄い。
荻 野 8番打者で名球会会員は初めて。27年連続本塁打も長く現役でいたからこそだった。
真々田 生涯打率が2割4分と低くとも、守りでの貢献度が高かったのだろう。守りの人、信頼の人ですね。
佐 藤 私は大矢明彦を支持します。ヤクルト初Vの縁の下の力持ちです。理知的であり、とにかく人の良さが一番。
菅 谷 土井淳もいい捕手だった。ロイ・キャンパネラと同じ背番号「39」。インサイドワークに長け、守り、肩も良かった。
山 田 今季で現役引退する阿部慎之助はどうか。2000安打、400本塁打をマークするなど、まさに打てる捕手。将来的にはさらに高く評価されるのではないか。
菅 谷 私は日本のベーブルースではないか、と思った。
島 田 彼はルーキーで開幕戦にスタメンマスクを被った。でも、当時の巨人はベンチから投球のサインを指示していた。いつもベンチを覗くので、注意していたと当時の審判員から聞いた。(続)