「評伝」高木守道

◎プレーもユーモアのセンスもあったバックトス

 「えっ、もう78歳だったの?」
 そんな声が相次いだ。2020年の新年を迎えて間もない1月17日早朝に亡くなった高木守道への言葉だった。ファンはいつまでも「若くさわやかな名手」を胸に刻んでいたのである。
 言うまでもない、日本球界の誇る名人内野手だった。「日本球界史上最高の二塁手」「高木の前に高木なし、高木の後に高木なし」との感想が球界関係者から寄せられた。立大の学生コーチとして県岐阜商時代にその素質を見抜いた長嶋茂雄は「残念」と感無量の思いで肩を落とした。
 バックトス。高木の代名詞ともいえるプレーである。カールトン半田という米球界を知る日系二世の選手からアドバイスを受け、来る日も来る日も練習を重ねて身に着けたプロの技だった。
 ひとことで言えば「職人タイプ」で「絵になる選手」。無口がより神秘性を生んだ。「見てるだけでいい」「木戸銭を払って見たい」と、まさに名優の座にいた。
 プレーに対するプライドも高かった。あるとき、守りでミスをしてベンチに戻ると、監督からなじられた。するとグラブを持ってベンチを抜け帰ってしまった、というエピソードが伝えられている。「一生懸命やっているんだ」と。
 チームメートによると「あれでかなりの短気」。それにまつわる話を聞いたことがある。「中日で短気と言えば星野仙一さんが有名だけど、ほんとうに怒ったら高木さんの方が怖かった」。そういえば「瞬間湯沸かし器」と呼ばれたこともあった。それに対して本人は「オレは暴走老人」とバックトスで返した。あれでユーモアのセンスも持っていた。
 亡くなった日は、満月から新月までの中間にあたる“下弦の月”だった。後輩選手にプレーをバックトスで中継したように思えてならない。(菅谷 齊=共同通信)