「評伝」 野村克也

「考える月見草」(3)
◎野球人である前に立派な社会人であれ
ワシは監督失格者、と言いながら監督に就いてしまった野村は、ヤクルトで監督失格者としての指導を始めた。
1990年、チーム作りの基本であるミーティングで、まず語ったのは野球の話ではなかった。選手にすれば、どんな野球を目指すのか、その内容に興味があったが、野球の話ではなく「妙な人生論」だった。
野村は、こう口を開いた。
「野球選手の前に規律正しい社会人であれ、ということが大事である。この社会のなかで自分は何のために生き、何を目標に人生を歩んでいくか、それをしっかり考えて歩んでいかなければ、真の野球選手になれない」
野球の技術やプレーの話は、まったくない。選手は面喰った。他の監督なら、当然、自分の目標とする野球やチーム作りなどを語るが、そんな話は皆無である。
▽ミーティングで野球の話がない 
野村が説いたのは、社会人としての心構えの大切だった。
浮ついた気持ちで野球だけをやればいいという姿勢では、真のスポーツ選手にはなれない。選手に対し、社会人としてどこにいても恥ずかしくない礼儀作法、規律を守って行動し、集団生活で責任ある行動をとるよう心がけ、そこから人間性重視の野球への取り組み方の重要さを認識させようとしたのである。
そのために、ミーティングでは長い間、人生観、仕事観、社会常識を語り続けた。
ところが、時は待ってくれない。ペナント・レースになれば、真剣勝負になる。野球の技術の話をしなければならない。野村は、選手に対して良き社会人になるべくひと通りの人間教育を行い、あとは日常の行動で社会人としての模範的な行動をとることを期待して野球の勝負に入った。
選手に求められたのは、
「何のための野球か」
「自己の能力を知って変化すること」
だった。選手は意識改革をさせられ、いつもの年と違ったシーズンに入っていった。
▽野球人生に大きなプラスとなる 
選手が現役引退したあと、
「あの時、野村監督言われたことに最初は驚いたが、その後の野球人生に大きなプラスとなった。いまでも監督の思考を大事にしている」
多くのヤクルト野村門下生は、そう語っている。荒木大輔、伊藤智仁、池山隆寛、飯田哲也らは自己変革して成長した。
ヤクルト監督でスタートを切った野村は、人間性重視の姿勢は変わらないが、試合になれば「考える野球」で勝つための作戦を立てていく。個々の打者、投手の「人間性」を見つめて、勝負どころでどういうプレーをする傾向があるか、どんなクセがあるかを観察して攻撃や防御に活かす。相手の弱点や特徴を見つければ、少しでも味方は有利になる。
監督失格者としての目ならではの野球道である。(続)