◎「野球害毒論」と「野球統制令」

2020年の高校野球、夏の選手権は中止になった。中止は米騒動、太平洋戦争の影響に次ぐ3度目だが、コロナ騒動の余波を受けた今回は、その決定まで様々な意見があった、と聞く。
 夏の甲子園大会は、オリンピックでもありえない全試合をテレビが完全中継するほどで、ビジネスとしても“ドル箱スポーツ”。傑出した高校生の競技といっていい。
 この人気スポーツは、人気ゆえに大昔から社会問題になっていた。
 1911年(明治44年)に大手新聞が露骨に指摘したのが“野球害毒論”。一高の新渡戸稲造、学習院の乃木希典らがぶち上げた。
「野球は“巾着切り“(すり)のようなスポーツである」
表現の悪さは、その多くは今では使えないものばかり。野球擁護派との口喧嘩はすさまじいものだった。
野球が日本に伝わったのが明治初期。40年ほどの間に大変流行った。古来の武道に米国生まれが割り込んできたわけで、いわば“保守と革新の戦い”の様相といっていいだろう。
 その騒動が落ち着いたのを見計らったように全国中等野球大会(現在の高校野球)がスタートしている。変わり身の早さに驚く。複雑な競技が日本人に合っていたかの証左といえた。大っぴらに全国各地で行われるようになると、お決まりの無節操状態が来た。
 スカウト合戦が始まったのである。高校も大学も、だ。年を追うごとにエスカレート。社会問題に発展し、手が付けられない状況になった。ここで出てきたのが政府。のちに首相となる鳩山一郎文部大臣(鳩山由紀夫元首相の祖父)が32年(昭和7年)に“野球統制令”を発布した。
 「学生は学業に専念し、健全化を求める」
学校をきつい規制で縛った。一スポーツに的を絞るのは異常なことで、野球界の秩序がいかに乱れていたかが想像できる。
 現在の高校野球の姿は、その昭和初期に似ているように思うときがある。中学生に早くから目をつけ、中学校あるいはクラブチームの指導者は高校に売り込む。甲子園一辺倒の高校指導者も少なくない。
 今回中止になったとき、どれほどの指導者が過去の大会中止の真相と意味、害毒論と統制令、さらにモスクワ五輪不参加の実情を説明したのだろうか。野球をはじめスポーツ界にとってコロナ禍は、スポーツのもう一つの歴史を後輩に伝える絶好の教材だった。“大人の力”を示す場面である。(菅谷 齊=共同通信)