「いつか来た記者道」(28)―(露久保孝一=産経)
◎熱きドラマ再現した帯広農業高
農業高校は野球ドラマをつくる、といきなり言われてもピンとこないと思うが、その名前をあげれば、なるほどとうなずく人は多いはずである。
甲子園高校野球がその舞台で、第2次世界大戦前は台湾の嘉義(かぎ)農林、それから80年以上経って2018年夏に秋田県金足農業、20年夏のコロナ禍による交流試合での北海道・帯広農業と続いた。
嘉義農林は1931(昭和6)年夏に準優勝するなど4度甲子園に出場して活躍し、その歴史が映画「KANO1931海の向こうの甲子園」(2015年)となり、復活した(この連載の第5回目で紹介)。金足農は吉田輝星投手を擁して準優勝し、全国で人気を呼んだ。吉田は日本ハムにドラフト1位で入団している。
▽無観客でも「なつぞら」のような金星
20年選抜大会は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響により中止となり、夏に交流試合として行われた。この交流試合に21世紀枠で帯広農が出場した。同校は8月16日、群馬県の強豪校・高崎健康福祉大高崎と対戦し、予想を覆して4-1で破る金星を挙げた。
前年のNHK朝の連続テレビ小説「なつぞら」は、北海道の帯広の畜産農業を描いたドラマだった。主人公のなつが通った高校のモデル校とされたのは、帯広農である。
お茶の間で一足早く知られるようになった同校は、次には高校野球でも注目を浴びる。19年秋の北海道大会でベスト4に進出し、20年選抜大会の21世紀枠出場校に選ばれた。
夏の交流試合となった戦いは、コロナの影響でスタンドに観客は入らずテレビ中継だけだった。嘉義や金足のような湧き上がる声援の中での甲子園激闘とは違って、静かなエキシビジョンであったが、帯広農はテレビを通じて、豊かな自然の中の農業高校の晴れ姿として感動を与えた。
金足も帯広も公立高校である。
▽農業と名のつく高校へ激励の声
帯広農業の選手は農畜産など実習が多く、全員での練習ができないこともある。冬季にはグランドが凍り、氷の上での練習も余儀なくされた。
「氷の上の打球はものすごいスピードで襲ってくる」
という恐怖の練習にも耐えて、強靭な肉体と精神力を身につけた。それが、甲子園での勝利につながった。
「キャッチボールもろくにできない草野球チーム」から練習を積んで台湾代表になり、渡航して甲子園に挑んだ嘉義の雄姿は観客から大拍手を浴びたが、北の大地で農業を愛する帯広農の球児たちの躍動する姿は「明日の頼りになる青年像」の印象を与えた。
工業、商業、水産など由緒ある高校の名前が変更して消えていく中、農業高校の名前のまま長い伝統を守る学校もある。日本人の食文化を守る農業高校よ、頑張れ、と声援を送る声はいつの時代でも多い。(続)