「いつか来た記者道」(31)-(露久保孝一=産経)

◎中西太から山田哲人へ
 2020年のフリーエージェント(FA)戦線の最大の目玉として去就が注目されたヤクルトの山田哲人内野手が、スムーズに残留を決断した。35歳までの7年契約で総額35億円プラス出来高という超大型の内容となった、と報じられた。スワローズへの愛を貫き通したことで、ファンから大きな拍手を受けた。
沢村賞に輝いた中日・大野雄大投手も、シーズン後に残留を決めている。
 山田といえば、15年に史上初めて本塁打王と盗塁王を同時に獲得。打率3割、30本塁打、30盗塁を記録する「トリプルスリー」は、3回達成した。この記録を複数回達成したのは山田だけである。達成者は1950年の岩本義行(松竹)から18年の山田まで10人しかいない。
▽トリプルスリー大砲が盗塁王に
 その中で各部門の成績1位は、打率が.363の柳田悠岐(ソフトバンク)、本塁打は43本の別当薫(毎日)であるが、盗塁となると53年の36個の中西太(西鉄)である。中西は、内野手の頭を越えたライナーがそのままホームランになったという伝説をもつ豪打が売り物のスラッガーだった。盗塁王を獲った快足のイメージは、ほとんどない。しかし、事実は小説よりも奇なり、「怪盗・太」と当時を知る記者は語っている。
 中西は、高松一高時代から「怪童」と呼ばれ、甲子園では弾丸ライナーを連発して相手投手を震え上がらせた。3年夏の大会1回戦で、岡山東高の秋山登(のちの大洋)から大会1号を、左中間を深々と破るランニングホームランで記録した。2回戦の福島商高でも再度、ランニングホームランを放った。強打に加え俊足でもあったのだ。
 西鉄に入団して、プロ初本塁打はまたしてもランニング本塁打だった。翌年、20歳で史上最年少のトリプルスリーを成し遂げた(打率.314, 36本塁打、36盗塁)。当時から、中西は「足には自信がある。盗塁は、直感で走って次の塁を狙ったんだ」と周囲に語っていたほどである。
▽山田は5回までやれと激励
 中西は身長170センチ、体重95キロのずんぐりむっくり型だが、その体でスピーディーに走った。ただし盗塁王をとったあと三原監督から、スライディングで怪我されたら困るからやめておけ、と命じられ翌年から抑えて盗塁は減った。
 現在の山田は、打撃の実力は申し分なく、盗塁にも秀でている。しかし、20年は打撃不振のままシーズンを終えた。21年は、その汚名返上をめざす。目標は大きく4度目のトリプルスリー、それも3部門ともリーグトップで決めてほしいと新規契約した球団は待ち望む。中西はその上、5度目まで達成してほしいと期待している。(続)