第39回「野球小僧」-(島田 健=日本経済)
◎野球好きの極み
▽今は懐かし「ハイカツ」
1911(明治44)年生まれの灰田勝彦といえば、「鈴懸の径」など第2次大戦前後を通じて、紛れも無い第一線の流行歌手だった。ハワイ生まれの立教大卒。自らのチームで投手を還暦すぎまで続けるなど、大の野球好きと知られていた。
プロ野球選手との親交も厚く、別所毅彦(南海ー巨人)とは義兄弟の契りを交わした。51年、自分で企画、主演した映画「歌う野球小僧」で主題歌となったこの歌は大ヒットし、ハイカツのテーマソングになった。
▽朗らかなマイボーイ
「野球小僧に 逢ったかい 男らしくて 純情で 燃える憧れ スタンドで じっと見てたよ 背番号」
と始まると、繰り返しは
「オオ マイ・ボーイ 朗らかな 朗らかな 野球小僧」
歌詞は朗らかで大らかである。映画の内容も、オジのクリーニング屋で働く身寄りのない青年が、苦労しながらも、野球を続けてライバルチームに勝つというたわいないものだが、それでもヒットしたのだから、ハイカツも野球も人気が高かったということだろう。
▽原作は久米正雄
大正末期に「鎌倉老童軍」を創設、昭和初期には監督として率いていた作家の久米正雄。野球好きは生涯変わらなかったようで、亡くなる1年前、スポーツニッポンに野球小僧という小説を連載した。
これに触発されたのがハイカツだった。野球好き作家の新聞小説を元に、芸能界きっての野球狂、ハイカツが映画化、主題歌もヒットしたのだから野球好きの極みとも言えよう。
▽紅白のトリで歌う
ハイカツはNHK紅白歌合戦では初期の常連で、計6回出場しているが、第3回(52年)と第7回(56年)ではトリを務めた。連載第1回の「ホームラン・ブギ」でも書いたが、第3回では笠置シヅ子の同曲と「野球小僧」が男女のトリという、野球尽くしとなった。
ちなみに笠置は「歌う野球小僧」にも出演している。83年には小林克也&ザ・ナンバーワンバンド、91年には伊武雅刀がカバーしている。佐伯孝夫作詞、佐々木俊一作曲のこの唄は球界のスタンダードといえよう。
検索は「灰田勝彦 野球小僧」(了)