「いつか来た記者道」(37)-(露久保 孝一=産経)
◎キャッチボールに勝るものはない
横浜市中区に、樹木に囲まれた丘の上に広い公園がある。遠くに東京湾が見える。2021年のプロ野球が開幕してから1カ月たったころ、その公園の中で、珍しく親子がキャッチボールをしていた。
珍しいと書いたのは、サッカーをしている少年たちの姿はいつも見られるが、キャッチボールをしている光景は少ないからである。
キャッチボールをしていた40歳位の父と小学低学年の男子は、正確な投球で速い球を投げ合っていた。見た目に「かなり練習しているな」と感じられた。私(露久保)は、この投げ合いに見とれてしまった。
すぐ、ケビン・コスナーとスティーブ・マックィーンの名優の顔を思い浮かべた。2人とも、キャッチボールの感動的なシーンを演じているからである。
ケビン・コスナーは「フィールド・オブ・ドリームス」(1989年公開)、スティーブ・マックィーンは「大脱走」(63年公開)に出演、両作品とも大ヒットした。
▽子供時代にできなかった父との夢実現
「フィールド…」は、主人公のレイ(コスナー)がトウモロコシ畑をつぶして野球場を作る。そこにかつてのホワイトソックスの「シューレス・ジョー」と呼ばれたジョー・ジャクソン選手と仲間が現れてストーリーは展開するが、レイの親子の葛藤と夢物語が観客を魅了する。
野球選手だったレイの父は怪我によって野球を諦める。老け込み、やがて死んでしまう。そんな父を見てきたレイは、野球が嫌いになる。自分が大人になり、子を持って父の気持ちがわかるようになる。
レイが作った野球場に天国から父が現れ、「父さん、キャッチボールしない?」とボールを投げ合う。子供の時にキャッチボールを拒否したレイは、長い間後悔していた苦痛から解放されるのだった。父と子は、言葉よりもキャッチボールによって心を通じ合ったのである。このシーンは、映画を見た人を泣かせた。
もう一つ、「大脱走」は、脱獄を計って失敗したヒルツ大尉(マックィーン)は捕虜収容所の独房に入れられると、彼はグラブを持ち、コンクリートの壁にボールをぶつけ一人キャッチボールをする。ボールのぶつかる音を外に響かせ、ヒルツは「また大脱走をするぞ」といいたげに不敵な笑みを浮かべる。
2つの映画は、キャッチボールが夢と冒険と挑戦の物語を盛り上げた。
かつて、日本で野球がスポーツの花形だったころ、試合ではなくても、野原や公園などでするキャッチボールは、手っ取り早い運動、遊びの始めだった。仲間同士で楽しみ、父と子が興じる姿もよく見られた。ボールの投げ合いで、会話よりも親子の絆を深めることが多かった。
▽投球、送球のテクニック生む重要な練習
技術面から見れば、キャッチボールほど野球のわかる種目はない。「投げ方」「投げたボールの行方」「捕球の仕方」が基本的な野球の動作であり、そこからいろんな点が出てくる。投げ方は、投球フォームになり、腕の振り、足の運び、腰の回転などのバランスの良さを計れる。捕球する時は、ボールへの瞬間的な反応、動作の機敏さが必要になる。
キャッチボールは目標に向かって正確に投げることが要求され、これだけでも最も重要な練習なのである。プロの投手がよく遠投をするのは、それら全般のことを意識して調整し修正していくのである。試合では投手―捕手だけでなく、内野手、外野手の送球もキャッチボールが元となっている。
「キャッチボールのうまい選手は優れた選手である」となるのである。
それほど大事なキャッチボールである。携帯電話、パソコンの時代にあって、父と子で、友達同士で、素晴らしい「会話」であるキャッチボールをどんどん行って野球の花を咲かせてほしいものである。(続)