「いつか来た記者道」(53)-(露久保孝一=産経)

◎それはパンデミックから始まった
 野球のことならここへ訪れればなんでも分かる、と野球殿堂博物館がファンに愛されている。プロ野球の歴史、監督と選手の紹介、愛用のバット、ユニホームやアマチュア野球を含めてベースボールに関する情報を多角的に網羅した宝庫である。
博物館は東京ドームの21ゲート横にあり、試合観戦の前に見学するファンも多い。その中に、2021年野球殿堂入りした作家で日本高校野球連盟顧問の佐山和夫さんのレリーフや写真が展示されている。佐山さんは「小学生時代にボールボーイだった球歴しかない男が、野球殿堂入りなんて奇跡でしかない」と表彰式でおどけてみせたが、日米野球史にまつわる著作を多く残した。ベーブ・ルースをテーマにした『それはパンデミックから始まった』は、実にタイムリーな著書である。
▽猛威のスペイン風邪と鮮やか二刀流
 1918年に発生したスペイン風邪のパンデミック(世界的大流行)は、世界の人口の約3割が感染し、4500万人が亡くなったとされ、米国でも死者は55万人にのぼった。大リーグにも感染が拡大し、ボストン・レッドソックスでは数人の患者が出た。「それはパンデミック・・・」によれば、レッドソックスのルースは感染しながら、のんきな性格からすぐ試合に出ようとした。しかし症状が悪化して11日間入院した。
 「ベーブ・ルースは死んだ」という噂まで流れたという。退院後はすぐチームに戻り、登板のない日は野手として打席に立った。この年、ルースはチームの戦力的事情から投手を期待され、かつ打者としても活躍した。シーズンを通じ投手として13勝、本塁打11本を記録した。佐山さんは、ルースの二刀流はスペイン風邪によって生み出されたと書いている。
 それから104年たった2022年、エンゼルスの大谷翔平は、パンデミックの真っただ中でホームラン34本、投手として15勝し、ルース以来の同一年度2桁勝利、2桁本塁打を達成した。
▽ルース的ホームラン男、村神様
 ルースは投手より打者に魅力を感じ、「毎試合出てファンに喜んでもらいたい」と1919年からほとんど打者として出場しホームランを量産していく。豪快なホームランは観衆の耳目を集める。「ホームランは見ていて気持ちがいい、野球の華だ」とファンは新しい興奮を感じ取った。
 現代の日本にそのホームランを連発する「神様」が現れた。村神様ことヤクルトの村上宗隆内野手である。大谷に続く、2022年パンデミック・ヒーロー(?)だ。
 村神様は8月に、中日戦で5打席連続ホームランを放った。ルースも王貞治さんもなしえなかった「世界初」の快挙である。首位を走るヤクルトは7月に監督、主力選手が新型コロナウイルスの大量感染を被った。危機的状況の中で、村上はパンデミックを打ち砕くような打棒を披露しファンを「勇気づけた」。
 時代は人をつくるという。佐山さんにならえば、ルース、大谷、村上の大記録は「パンデミックから始まった」ということになろう。20年から始まったコロナ禍の暗い世相の中で、野球を始め多くのスポーツ選手が明るい話題を提供し歴史的な物語を後世に残しているのである。(続)
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〔メモ〕野球殿堂博物館 昭和34(1959)年6月に日本初の野球専門博物館として開館。平成25(2013)年4月、野球体育博物館から野球殿堂博物館の名称になる。野球界の発展に貢献し功労者として表彰された「野球殿堂入りの人々」の肖像レリーフのほか、歴史資料、話題性の高い資料を数多く収蔵・展示している。東京都文京区後楽の東京ドーム内にあり、電話は03-3811-3600。