◎球界を救った選手会(5完)-(菅谷 齊=共同通信)
◎球界正常化、東西対抗でファン投票
選手会の自浄努力でプロ野球界は落ち着いた。やはり実力選手が先頭に立つと効果があることを証明したといえるだろう。
1946年にペナントレースが7チームで再開し、南海改め近畿グレートリングが優勝。以下は巨人、阪神、阪急、セネタース、ゴールドスター、パシフィック、中部日本と続いた。英語名が復活したところに戦争終了が表れていた。
秋、東西対抗が本格的に行われた。このとき採用したのがファン投票である。新聞社が協力したのが功を奏して予想をはるかに超える人気を得た。
-東軍-
▽監督=横沢三郎(セネタース、明大)
▽投手=白木義一郎(セネタース、慶大) 藤本英雄(巨人、明大) 近藤貞雄(巨人、法大) 内藤幸三(ゴールドスター、東京市立高)
▽捕手=多田文久三(巨人、高松商) 藤原鉄之助(中部日本、明大)
▽内野手=千葉茂(巨人、松山商) 川上哲治(巨人、熊本工) 杉浦清(中部日本、明大) 山川喜作(巨人、鎮西学院中) 飯島滋弥(セネタース、慶大)
▽外野手=大下弘(セネタース、明大) 坪内道則(ゴールドスター、立大) 古川清蔵(中部日本、鹿児島商) 黒沢俊夫(巨人、関大) 呉新亨(のち萩原寛、巨人、嘉義農林)
▽監督推薦=投手・服部受弘(中部日本、日大) 久野勝美(中部日本、中京商) 内野手=小鶴誠(中部日本、飯塚中) 外野手=岩本章(中部日本、高知商)
-西軍-
▽監督=藤本定義(パシフィック、早大)
▽投手=別所昭(のち毅彦、近畿、滝川中) 真田重蔵(パシフィック、海草中) 若林忠志(阪神、法大) ビクトル・スタルヒン(パシフィック、旭川中)
▽捕手=土井垣武(阪神、米子中) 伊勢川真澄(パシフィック、和歌山・粉河中)
▽内野手=藤村富美男(阪神、呉港中) 山本一人(近畿、法大) 本堂保次(阪神、大阪・日新商) 安井亀和(近畿、明大) 白石敏男(のち勝巳、パシフィック、広陵中)
▽外野手=青田昇(阪急、滝川中) 金田正泰(阪神、平安中) 田川豊(近畿、法大)
森下重好(パシフィック、法大) 呉昌征(阪神、嘉義農林)
▽監督推薦=投手・野口二郎(阪急、中京商) 丸山二三男(近畿、大阪・京阪商) 内野手・長谷川善三(阪神、米子中) 外野手=藤井勇(パシフィック、鳥取一中)
メンバーを見ると、一流選手が多い。セ・パ2リーグ時代の繁栄を支え、球界を正常化した男たちである。(了)