◎監督の器量(菅谷 齊=共同通信)

その昔、プロ野球の監督になるのが夢、と多くの男性が思っていたものである。セ・パ合わせて12人しかいないからで、大臣の数より少ないことも大きな理由だった。その代わり成績が悪ければ1年で交代もあるし、シーズン中の解任も、という厳しさを背負う。
当然、選手は現役を退いたあとは、監督になりたいとだれもが思っている。この指導者のエリート席はそう簡単には手に入らない。“器量”がモノをいう。
大リーグを代表するスーパースターとして知られるベーブ・ルースは1934年秋、日米野球で来日したときはヤンキースと監督就任の交渉を続けていたころだった。その希望はかなわず、帰国すると間もなくボストンに本拠を置いていたブレーブスにトレードされ、翌35年限りでユニホームを脱いだ。
ルースの夢が潰えたのは選手時代の姿勢を球団が評価しなかったからだった。選手と管理職の能力は違う、ということである。このルースの一件に象徴されるように、大リーグでは「名選手、必ずしも名監督に成りえず」の考え方は変わっていない。ヤンキースでいえば、ジョー・ディマジオ、ミッキー・マントルも監督にはなっていないし、あの本塁打王のハンク・アーロン、三振奪取王のノーラン・ライアンも、だ。
日本はどうかというと、最近は現役時代の実績より指導能力を買って監督に抜擢しているケースがある。オリックスの中嶋聡は2年連続リーグ優勝に導き、昨年は日本シリーズに勝った。ソフトバンクの藤本博史も優勝を争う手腕を発揮した。
選手時代の実績をはるかに上回る監督成績を残した例として思い出されるのが阪急に黄金時代をもたらした上田利治である。広島の捕手だったことはほとんど知られていなかった。最近では日本ハムを優勝チームにした栗山英樹がいる。退団して間もなく2023年のWBC監督になり優勝奪還を果たした。
 特筆はヤクルトの高津臣吾である。現役時代はヤクルトのクローザーとして何度も優勝に貢献、大リーグに行った。その後、投手生活を続け、韓国などでも投げた。さらに独立リーグ監督をやり、ヤクルトに戻って二軍監督と広く深く学んだ。このさまざまな経験がリーグ連覇に結び付いた。「球界一の器量よし」である。
 人柄、勉強家、リーダーシップなどが監督就任の条件で、現役時代の成績は参考資料といっていい。監督の器量は積年の努力によって身に着く。(了)