「菊とペン」(51)-(菊地 順一=デイリースポーツ)

◎オレたちは巨人担当の…
最近、球場周辺で見かけなくなったのはダフ屋である。ダフを逆さから読めばフダ(札)。これが語源で、言うまでもなくプロ野球などのチケットを違法高額転売するご職業の人たちだ。
いまは球場から遠く離れた場所や地下に潜っているようだ。近頃は素人の転売ヤーがインターネットを使って跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)している。闇取引の根絶は難しい。
昭和から平成、ダフ屋たちは球場前で大手を振って商売をしていた。「ハイハイ、チケットあるよ」「券ないか、券あるよ」「いい席があるよ、これだよ、これ」
巨人担当になったのは1987(昭和62)年からで、後楽園球場が東京ドームに生まれ変わろうとしている頃だ。
いやあ、ダフ屋の方々は元気で仕事に励んでいた。違法行為が白昼堂々とまかり通っていた。当時、巨人は超人気球団である。ダフ屋がすごく多かった。
1人のダフ屋と顔なじみとなった。おそらく40歳過ぎだろう。強面ではない。愛嬌があった。球場入りする際、なぜか目があったのである。頭をペコリと下げると、向こうも「ヨッ!」と返してきた。
そのうち短い会話を交わすようになった。向こうも私が記者だとわかったようだ。とは言っても「こんちわ」「オッ、頑張ってるな」くらいだ。親しげに話をしているシーンを誰かに見られたら何を言われるか分からない。
その年、年に一度の札幌遠征が近づいてきた。札幌は不案内である。北の都で美味いものを食べたい。社の先輩に相談した。
「任せておけ。札幌遠征ではよく行った店がある。まあ、オレの名前を出せば安くなるはずだ」
移動日の金曜は球場で軽い練習があった。当時は円山球場である。適当に原稿を送って、後輩といざ出発である。
狸小路だったか狐小路だったか、ようやく探し当てた。先輩が言う、北海道で水揚げされた魚を料理する店である。
暖簾をくぐって中の様子を見る。確かに混んでいる。奥が空いているようだ。足を運ぼうとした瞬間、声がかかった。
「オレだよ、オレ。なんだ、お前もこの店にきたのか」
そう、顔なじみのダフ屋氏である。若い見習い(舎弟)を2人連れていた。この時は長い立ち話となった。
「この店は兄貴たちから伝えられている店でな。札幌に来たら必ずここよ。うまいぞ、特にキンキが最高だ」
巨人の試合を中心にチケットを捌(さば)いている。「まあ、巨人担当だな。遠征だって付いていく。お前と一緒だ」と話し、ガハハハと笑ったのである。
ダフ屋の世界も縄張りがある。新潟・糸魚川市から静岡県・静岡市に至る「糸魚川(境界)線」だという。地図上、この線から上は関東、下は関西のダフ屋組織が仕切る。だから、このダフ屋氏は静岡から大阪方面には行かない、いや行けないという。「九州にも行ってみたいなあ」
翌日の土曜日、円山球場で仕事に精出すダフ屋氏を見かけた。その日、私らは魚料理をやめて肉だ。で、後輩が言い出した。「もう一軒、軽く飲みましょう」
そこでこれまた先輩に教えてもらったスナックと言うのか、パブと言うのか、女の子のいる店へ行くことにした。
店のドアを押す。空いていた。奥に数人の客がいた。その1人が声を掛けてきた。
「また、お前か。よく会うな。こっちへ来いよ。一緒に飲もう」
くだんのダフ屋氏だ。丁寧にお断りしたが、腹の中では「先輩、どうなっているんですか。ダフ屋と行動が一緒じゃないですか」とあきれた。
でも、よく考えてみると、巨人を中心に仕事をしていたら、彼らと行動も似てくるのか。担当…妙に納得したのであった。
ダフ屋の警察による取り締まりは2003年頃から厳しくなった。現在、間近で見ることが珍しくなった。時代の流れだ。
ところで、先輩の名前を出したら安くなったか?それは書かないでおきます。
あのダフ屋さん、いまどうしているのか。妙に人懐っこい笑顔を思い出す。(了)