第76回「シュア・ショット」(島田 健=日本経済)

◎安打製造機に捧げる
▽ヒップホップの雄
1978(昭和53)年に正式な活動を始めたビースティー・ボーイズはラップという言葉を連ねる音楽の牽引者的グループだった。ビルボード最も売れたラップスターになってからは、98年にはグラミー賞を獲得、12年にはロックの殿堂入りを果たした。マイケル・ダイアモンド、アダム・MCA・ヤウク、アダム・アドロック・ホロヴィッツの3人がメンバー。ラップなだけに即興的に言葉が出てくるが、ニューヨークが地元だけにヤンキースとメッツの野球ネタもどんどん出てくる。
▽サダハル・オー
「俺はマイクでヤンキースのようにスコアを稼ぐ」(3分ルール)「マイク・ピアッツァのように決めてやった」(3個の難関)といくらでもあるが、日本人にとっては「俺はサダハル・オーよりヒットをかっ飛ばした」(ヘイ彼女たち)が一番だろう。野球好きの彼らは日本の本塁打王、王貞治をよく知っており、つい口に出てしまう存在だったらしい。ビースティー好きな米国の若者たちが、「彼らのおかげでサダハル・オーのほかたくさんの固有名詞を知ることができた」と感謝したこともあるらしい。
▽ロッド・カルー
野球の固有名詞ではエンゼルス、ツインズで活躍したパナマの安打製造機、ロッド・カルーの名前の使い方が光っている。ビースティーの代表アルバムとされる「Ⅲ Comunication」(1994)の一曲目、「シュア・ショット」だ。そこには「俺はジョン・ウー(映画監督)よりいいアクションができるし、まるでロッド・カルーであるかのようにクレージーなヒットを打ってきた」。カルーは通算打率3割2分8厘、首位打者7回のレジェンド。ニューヨーカーではないが、曲名といいカルーを讃えた唄といっていい。
▽活動中止07
15年に中心メンバーであるヤウクが闘病あえなく癌に倒れて、ビースティー・ボーイズの活動は停止になった。訃報が流れた日はメッツの全選手が登場曲に彼らの楽曲を使用して哀悼の意を表したそうだ。超人気バンドの活動停止は本当に残念だが、彼らを慕う気持ちはまだまだ強く、20年には「ビースティー・ボーイズ・ストーリー」という記録映画が作られた(アップルTVで放映中)。
検索は「Beastie Boys Sure Shot」(了)